2016年02月28日

大変だけれど不幸では無い

2月25日:

 2月24日から28日まで、スタディーツアーが行われており、日本から12人の参加者と日本事務局のスタッフが来ていました。私は2日目、いつもどおりごみ処分場であるパヤタスに暮らす人たちを訪問する時の通訳として入ります。

 地域さん作などをした後、二つの家に分かれて家庭訪問をし、現地のお母さんに直接質問などをするのですが。12人の参加者が二つに分かれ、スタッフも二つに分かれるので、先輩スタッフのほうにインターンの学生、私のほうに日本から来ているスタッフが入って、各自の家へ向かいます。
 家庭訪問の後、各自の訪問した家がどんな感じだったか、どんな話しを聞いたかなどをもう一つのグループにシェアするのですが、これは毎回のことなんですけれど、どうも私のグループの参加者たちのほうが、パヤタスで暮らす人たちはそんなに困っていないのようなことを言う傾向があります。
 今回の場合、むこうの家のほうはお父さんだけしか働かなくて良くて、しかも収入はこちらの3倍(それでも最低賃金以下)、子どもたちのほとんどが学校に通っている、こっちは夫婦共働きで毎日ゴミ拾い、子どもたちは誰も学校行って無いという、客観的に見れば私たちが訪問した家庭の方が生活苦しいんですけれど。
 でもむこうのグループのほうが、彼らはこんなに大変なんだ、可哀そうなんだ、夢があるのに叶えるための手段がないんだみたいなことを話し、
こっちのグループは、確かに生活は苦しいけれどでも現状に満足してるらしい、もちろん子供を学校に行かせられないのは悲しいけれど、それでも家族一緒に暮らせることが幸せって言ってる…、という感じの発表になります。
 これは絶対、通訳の人の影響ですね。通訳はもちろんお母さんが言ってることを約したり、ちょっと説明を加えたりするだけなんですけれど、でもどんな質問の方向へ持って行くかとか、ある程度話の流れを左右できてしまいます。
 長く働いているスタッフは、住民の人達はこんなに大変なんです、こんなに頑張ってるのに環境が悪いから前へ進めない、だから誰かが状況を打破できるように助けてあげなきゃいけないんです…という方向へ話しを持って行きます。
 ただ私は、自分が「障害者可哀そう」みたいな適当な解釈に長年さらされてきている結果、どうもそれに疑問があります。たぶん障碍者と同じ、彼らの生活は大変だけれど不幸では無い。
私たちみたいな先進国の生活ができないなんて不幸せで可哀そうに違いない…、私たちみたいに物が見えないなんて不幸せで可哀そうに違いない…、たぶんこの二つの見方はものすごく似てるんです。
私がゲストスピーカーとして行った時も、目が見えないと大変だろうから暗い人になるんだろうと思ってたけれど、すごく明るくて笑顔な人で驚いた…のような感想がかならずあります。それと同じように、ごみ山で働く人たちが笑顔で驚いたという感想が出ます。

 参加者からはときどき、お金持ちの人達の生活を見てどう思いますか?などの、ちょっと失礼な質問が出ます。たぶん、「羨ましい、ああなりたい」という答えを期待してるようなんですけれど、現地のお母さんたちは、「別に?彼らは彼らだから」って答えて、日本人たちは何だか物足りない反応をするんですね。
このお母さんたちの反応の意味はものすごく分かります。「健常者を見てどう思いますか?」って聞かれても、「別に?」ですよね。そうなりたいかと聞かれたら、まあお金全額出してくれるんならなってもいいけど…、程度です。
そして、彼らには彼らなりに一生懸命考えて住みあげてきた人生があるんですから、人はそんなに単純に「お金持ちの暮らしが羨ましい、私たちの人生外れだった」とは言いません。

 だからどうしても、私が通訳を担当したほうの家は、生活は苦しいけれどでも毎日小さな幸せを感じながら暮らしてます…、欲を言えば色々あるけれどでも今の生活に満足してますみたいな雰囲気になるんです。
住民の人たちは困っていて可哀そうに違いないと決めつけてる人達にとっては、何だか物足りなかったり、「彼らは向上心が足りない、生活を改善しようっていうやる気がない」などと言う人もいるんですけれど。
障害者に当てはめてみます?視覚障害者はそれを改善しようっていう向上心がない、なんで毎日病院行ったり目のリハビリしたりしないんだ、やる気がない…って言われてる感じですよ!!
いやあなたにとっての幸せが、みんなの幸せじゃないんですけど…でしょ?どうしても人は、自分にとってのあたりまえが、世の中のあたりまえだと思ってしまいます。
中には、なるほど彼らは大変だけれど不幸ではない、彼らなりに積み上げてきた生活があるんだなって、何か感じて帰ってくれる人もいるんですけどね。
パヤタスの人達にもっとも幸せな瞬間を聞くと、日曜日に家族みんなで家の掃除をする時とか、みんなが健康で暮らせる時とか…、忙しい日本人が見落としているような幸せを気付かせてくれます。

 最後に完全に余談ですが。家庭訪問が終わって、再び二つのグループが集まる場所に戻った時、私のほうに同行していた日本事務局からの先輩スタッフに「由香理さん、安定の通訳やね」と言っていただきました!!
「英語とタガログ語混ぜて通訳できるくらい、タガログ語伸びたねぇ」と。彼女は私の上司の上司に当たり、6月の入社初日(日本勤務)の私、そして8月末のスタディーツアー時の私を見て、今回半年ぶりの再会なんですけれど。
パヤタスでの家庭訪問通訳だけは、上の人のお墨付きをいただきました…、まあこれが、最後の通訳ですけどね。
posted by Yukari at 13:17| Comment(0) | 日記
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