2016年07月24日

サフラン賞の授賞式まで(前半)

7月21日〜23日:
 7月23日の土曜日は、先月の審査委員会で受賞者として選んでいただいた、サフラン賞の授賞式でした。なのですが、まあこのトラブルメーカーの私が何事もなく授賞式を迎えたわけもなく。
今回の記事では、授賞式前の、色々「伝説」だと言われたエピソードの数々をお話しします。

エピソード1: 頑張るとこ間違ってる!!
授賞式では、女性部門であるサフラン賞に選ばれた私と、もう一人男性部門であるチャレンジ賞に選ばれた人とが、各自25分のスピーチをするように言われてました。というわけで、多少なりとも本番25分しゃべる準備はしておいたほうがいいわけです。
そんなことはなんとなぁく頭にありながら、私が一生懸命力を入れてたのは「23日に、髪質や肌質などのビジュアルレベルを久しぶりにピークに持って行くよう調整したい!」!?
イギリス留学中やフィリピンで働いてたころほどのストレスはないはずなのですが…、現在仕事を三つ四つかけもちしてて、寝るためだけに家に帰るような生活が先月から続いている今、またしても色々と見た目の調子がよろしくなかったんですね。
そんな姿で、ステージに25分たつ、記念写真撮られる…、いやありえない!そう思って、先週くらいから本気出して、肌荒れの治療行ったり、美容院行ったり、かならず野菜食べるようにしたり、毛が細い人のダメージへぁケアに特化したシャンプーに変えたり…。
さすがにね、そうやって多少お金もかけて本気出すと、人間の肌質髪質なんて1週間ほどでずいぶん回復するんです!そして、私が1番お気に入りのとっておきのワンピース、これは年に2.3度しか着ない特別仕様のものなのですが、それが23日に搭乗予定でした。
 まあそうやってビジュアルレベル回復に力を入れていた追い込みである21日に、今回のサフラン賞に私を推薦してくださった方と、食事に行ったんですね。その方は、私が最近23日に向けて努力してることはご存知だったのですが。
食事するフィリピンレストランに入って向かい合って座って、確かに肌荒れほとんど改善されたね、効果あるんだねなどと言われてて。ところで、25分のスピーチの内容は考えたの?っていう話しになって。
「いや、それが…。私何しゃべればいいと思いますか?だって、去年の60周年式典のスピーチの時は、奨学金いただいてた奨学生代表としてのスピーチだったので、だいたい話すように求められてる内容が分かってたんですけれど。
今回、求められてる内容が分からないんです、あまりに自由すぎて。私別に何かを成し遂げたわけでもないですし、25分しゃべるようなこともないですし…、どうしたらいいんですか?」と相談したところ、
「見た目にこだわってるより、もっとやったほうがいいことあるんじゃないの?」と…そうなんです、中身がともなってないこの漢字。肝心なるスピーチの内容は本番40時間前にして何一つできあがって無かったっていう…。

 エピソード2: 前日に「ところで明日何時からですか?」って聞いた受賞者!
 主催者の息子さんとそれなりに最寄駅が近いので、23日はその方と最寄駅で待ち合わせて、会場まで連れて行っていただく約束でした。
それで、木曜日の夜に「土曜日って、何時に待ち合わせましょうか?」ってメッセージ送ったら、「何時に行きたいの?」って返事が返ってきて。
「え、あれ?ところで、土曜日って何時から始まるんですか?」!!他力本願過ぎた私が悪いのですが、主催者の息子さんが連れて行ってくださるイコール彼が予定等は全部ご存知に違いないと勝手に思ってて、開始時間も会場も行き方も木曜日の夜まで知らなかったんです!
その方に、受賞者はあなたなんだから自分で問い合わせろと言われて、いやーでもねぇ、今からメールしたら、出勤時間になって主催団体がメールを見るのが金曜日、前日じゃないですか。
前日に、ところで明日何時からですかって聞いてきた受賞者がいるって…、別の意味でまた変な伝説になってしまいました。実際、問い合わせたらやっぱり冗談半分に「伝説ですね!」って言われましたし。
 あの、一応誤解の内容に付け加えておきますと、別に私は、けっして授賞式を軽視しているわけでも、やる気がないわけでもないんです。ただ前日まで色々バタバタしてて何事も直前に思い出してぎりぎりで対処するような毎日が当たり前になってしまっているのと、単純に何かが抜けてるんです。
※ 次の記事に続きます。
posted by Yukari at 23:35| Comment(0) | 日記

2016年07月19日

板挟み(後半)

7月11日〜15日:
※ 前の記事の続きです。


 もう一つの好捕は、以前からときどき出てくる、今のフィリピン副大統領の義理のお姉さんお兄さんたちが立ち上げた視覚障害児教育支援団体、ナガ・リソース・センターです。
ここは、親族に政治家いたりなど政府との繋がりは作りやすく政府から応援してもらいやすいので、ODAなどはもらいやすいかも知れません。ただし、いわゆるお金持ちがその経済的そして心の余裕でやっているNGOなので、彼らお金に困って無いからそこまでストイックに毎日全力で働きたいわけでもないんです。
日本と組んだら、まるで受験生みたいな週刻みの計画とか月目標とか立てなきゃいけなくて、助成金くれる期間に出したその詳細なスケジュールに出来る限り沿ってストイックに事業進めなきゃいけないじゃないですか。
そういう、時計とスケジュール長に管理されてるような、がちがちに固めたやりかたは、お金持ちの趣味の延長NGOにとっては気が重すぎますね。だから、最初はぜひパートナーを組んで一緒にやりたいって乗ってくれてたんですけれど、日本の助成金の基準や、事業計画作成の話しなどの詳細を離したら、先方から返信返ってこなくなりました。
とりあえず、なんとなぁく臨機応変にうまぁくゆるぅく切り抜けて行くフィリピンにとって、日本の事前に1から10まで怒りうることを計算して計画立ててかためてから始めるやりかたは、めんどくさいんです。

 私たちも何度も助成金落ちたり、いろんな人に相談したりしながら考えました。1番危機的状況にあって、1番アクセスしなければいけないのはどこにいるか分からない未就学視覚障害児なんですけれど。
調査して何人見つかるか分かりません、したがって対象者数は分かりませんっていうままだと、99%助成金って受からないんですね。さらに、お金出すほうだって安定して先が見えるところに出したいので、既存事業の拡充には積極的ですが、新規事業の立ち上げはなかなか受かりません。
そして、FTCJはフィリピンの団体と組んで事業をやった経験は10年以上前からあるのですが、何しろ障害分野で事業をやった経験はないですよね?これが、助成金に応募する時に弱いんです、未経験じゃないか、初心者じゃないか、安定してない…と。
 だから、すっごく妥協と言うか何だか歯がゆいんですけれど、本当は今すぐ未就学児のほうに何とか取りかかりたいんですけれど、リスクが大きい未就学児はとにかく後回しにして、「フィリピンで視覚障害児教育支援事業を成功させた」という事例をまず最初に一つ作らなきゃいけないんじゃないかと。

 そこで新たなパートナー候補として登場したのが、私が去年何度か行っていたフィリピン国立盲学校です。4年前の留学の時、インターンもさせてもらってたところですね。
 フィリピンでは、2012年まで、学校教育は小学校6年、高校4年の10年間でした。でも世界基準に合わせるため、2012年に小学校に入学した子どもたちからは、12年教育になりました。今その子たちが、小学校5年生に来ています。
つまり2022年には最初の11年生が誕生するわけなのですが、今のところ視覚障害者向けの11年生12年生コースをやりますと言っているのが、このフィリピン国立盲学校だけなんです。12年教育を終えていないと大学に進学できなくなるので、つまり視覚障害者の場合、この盲学校の卒業生じゃないと大学に行けないことになります。
もちろん、一般の学校に無理やり行くという手はありますが、11年生12年生は、職業訓練専門学校のようなコースなので、健常者向けは自動車組み立てやテクノロジー関連や建築などが主となり、資格障害者が付いて行くのは難しいと思います。
盲学校は視覚障害者のコースとして、マッサージ、パソコン、音楽の3コースを用意しようとしてます。大學へ行くため、就職するため、フィリピン全土からこの盲学校の11年12年生コースに志願者が殺到することが予想されるのですが、既存の寮はもう10年生までの学生で満員です。
つまり自分で通学できる距離に住んでいるか、親と一緒にマニラに引っ越してくるくらいのお金が有るか、あるいはガイドヘルパーと一緒にアパート借りて暮らすくらいのお金が有る人じゃないと、この11年生12年生コースに入れなくて、大学へ行けないことになるんです。明らかに地方の資格障害者が不利になります。

 去年から校長先生とのミーティングを重ねる中で、この11年生12年生向けの寮建設を手伝ってほしいというのが、校長先生からの第1希望として出されていました。重要性も把握していたのですが、私が去年属していた団体のコンセプトは「技術協力」だったので、たんに建設の資金援助をするような事業には携われなかったんです。
でも今FTCJは、そういう縛りなどはないので、手始めと言ったら失礼ですが、フィリピンの視覚障害児教育促進事業の第1歩として、まずは盲学校と組んで寮を建ててみるのが、1番現実的で安全なんじゃないかと。
ここなら「国立盲学校」で教育省の下の管轄にあるのでバックに政府が付いてることも証明できますし、少なくとも5年以内に突然つぶれたりはしないでしょう。12年教育への転換は現在フィリピン政府や教育学者の興味ど真ん中のトピックですから、賛同を得やすいはずです。
 ただし、唯一よぉーくよぉーく確認しなければいけないことは、寮を建てた後の運営です。国立盲学校ということは、食事作りなど寮の運営をする職員は「公務員」という扱いになります。NGOは公務員の給料の支援はできません。
たぶん校長先生の一存では決められなくて、新しい寮が立った時、その運営スタッフを雇うために、教育省が本当に予算を増やしてくれるかどうか、それを念入りに確認して契約書みたいなの書いておいてもらわないといけないと思います。

 これらのことを確認すべく、来月うちの団体の代表者がフィリピンへ行くのですが…(予算不足のため、私は一緒に行くことができません)。
色々と現地で確認が取れて、また現地の様子を日本の皆さんに画像で伝えられるような写真も手に入ったら、8月後半から一気に私が世の中にフィリピンの視覚障害児共育促進事業を押し出し始めます!
以前、点字毎日さんという点字の新聞に取材しておいていただきながら、不確定なのでその取材記事をまだ公表できずにいるのですが、それも8月後半になればようやく出していただくことが可能になるはずです。
8月後半に公にしてから、所持金が尽きるまでに1カ月半…、間に合うでしょうか?事業の存続まで繋げることに?

posted by Yukari at 15:37| Comment(0) | 日記

板挟み(前半)

7月11日〜15日:
 さてさて、企業さんからいただいたものと、個人からいただいた寄付金とを合わせても、所持金85万円しかなかった私たちの障害児教育事業。着々とそこから私の人件費や交通費、その他管理費をすり減らしているわけなので、いよいよ後3カ月以内に所持金尽きる感じになってきました。
私が、何かしら助成金や企業回りなどで所持金を増やすのと、ついに所持金が尽きるのと、どっちが先でしょうね?そろそろ本当に追い込まれてきた私です。
 でも、気持ちが焦る一方で、今はまだ大々的に宣伝したり、クラウドファンでぃんぐと言って期間を決めてオンラインで募金を募ったり、企業さんに連絡したり…、そういうことがあまりできないというジレンマがあります。なぜなら、以下に書くような理由で、実際にその資金をどういった活動に使用するかが確定していないからです。

 皆さんはご存知のように、4月ごろ、私たちが当初計画していたのは、フィリピン大学の教育学部とパートナーを組んで、フィリピンにおける未就学視覚障害児を探したうえで、若手視覚障害者を教員として数人トレーニングし、フィリピン大学附属盲学校を開校させるというものでした。
ですが、4月に、応募していたそれなりに大きな助成金がだめだったということが分かり、事業開始の目途が立たなくなり…。私が日本に戻ってフィリピンとメールでしか連絡が取れなくなったことと、私たちが助成金落ちたことで、フィリピン大学側がたぶん一気に冷めてしまったんです。
何課メールしても国際電話しても連絡取れなくなって…。フィリピン人って、直接的に「もうやりたくないです」って断ってくることはまあめったにないんです。嫌になると、なんとなぁく返信遅くなってだんだん連絡取れなくなってフェイドアウトしていきます。
そういうわけで、ああフィリピン大学は熱が冷めたんだろうなぁ、たぶんこの状態から巻き返しての再び事業立ち上げは無理だろうなぁって5月初旬に判断し、パートナー相手を新たに探すこととなりました。

 5月後半から、新たなパートナー候補となっていた団体が二つあって、一つは私が去年の9月に訪問したことが有るヒューチャー・ビジョンという小さな小さなNGOです。
全盲の先生一人でやっていて、2階建ての一軒家で。未就学のまま家族にもほぼ面倒見てもらえてない視覚障害者たちを預かって、2階が生徒たちの宿泊施設、1階をキッチン兼教室として使いながら、生徒たちに点字の読み書きや基礎的な生活スキルなどを教えてます。
ここも助成金や寄付金他の身で何とか光熱費や生徒たちの食費を手に入れながら、先生はほぼ無給のボランティアで働いてて、さらに先生のお姉さん(健常者)が食事作りなど生徒たちの身の回りの世話をボランティアでやってます。
お金がないので新たに有給スタッフを雇うこともできず、生徒への指導から、未就学視覚障害児探しから学校との交渉から助成金新ン聖書作成まで、この全盲の先生が一人でこなしてます。
 フィリピンで唯一、すでに未就学視覚障害児探しや彼らへの教育を実践しているNGOであること、ここに資金や技術を導入すればより大きくなって力を発揮する可能性が見えること、先生自身にやる気があるので日本主導じゃなくても十分やっていけること、ほおっておくと資金難でつぶれてしまいそうなこと…などが理由で、ここの規模拡大のお手伝いをしようかと。

 最初は順調にパートナー関係を結ぶ話しが進んでいたのですが、色々と問題にぶつかってしまって。一言で言えば、日本側の基準や条件が細かすぎるんです、もちろん念には念をなんですけれど。
 たとえば、1000万規模などの大きな助成金や、政府機関から出されてる助成金などは、日本の場合たいてい出所はODAです。ODAのお金を使った事業の場合、たとえ表向きパートナーを組んでいるのはNGO同市だったとしても、けっきょくのところお金の話しは「政府間契約」なんですね。
つまり「フィリピン政府がバックについていて、フィリピン政府が促進したいと思っている事業にしかお金は出せない」のです。で?障害者の問題なんて、フィリピン政府にとって優先順位が高いわけがないじゃないですか、自分たちは痛くもかゆくもないですもん。
大きな団体でフィリピン政府にとって応援する価値がありそうな団体ならまだしも、ヒューチャービジョンのように一人がやってるちっちゃなNGOでは、フィリピン政府からのお墨付きなど得られません。つまり、ヒューチャー・ビジョンと組む限り、私たちはODA関連の大きな助成金は取れないんです。
大きなと言っても1000万規模です、1000万じゃ一軒家さえ立たないですから、数人スタッフ雇って3年くらいたったらなくなる金額ですから。その金額さえ取れないということは…、数百万、数十万規模の助成金にしか応募できないのはかなり厳しくなります。
 さらに、ヒューチャー・ビジョンは今のところ全盲の先生とそのお姉さんだけでやってるということは、この家族だけが運営の意思決定権を握っているということで…、日本の基準としては、ちゃんと理事会などを持っていない、家族の個人の利益にされてしまう可能性がある団体とはパートナーを組めないんですね。
他にも色々細かく細かく確認したいことがあって。団体の持続性について立ち上げのときプロポーザルに何て書いたのかとか、フィリピンの障害者に関する統計データなどは調べてあるかとか。

 今すぐお金を出してくれるわけでもないくせに、所持金持って無い癖に、やたら細かい確認ばかりしてくる…、その状況だとこの助成金の基準には当てはまらない…とかの連絡ばかり来る、そういう日本側に、先方もちょっと嫌になってきてしまってるんですね。
そこまでうるさいこと言われるんなら、いいよもう協力してくれなくても、日本がちょっとお金出すかも知れないからってそっちの基準やペースで何打よって。むこうの気持ちもよく分かります。
 そして…、なかなか板挟みでつらいのは私の立場です。フィリピン川からは、「あなたの団体とパートナーになりたいかどうかちょっと分からなくなってきた」などと言われ。
先方からの返信遅かったり、連絡適当だったりするようになってきたので、うちの団体側からは、返信はまだなのか、ちゃんと問い合わせてるのかって感じの催促来ますし、不信感を募らせるのでさらに細かい確認事項が追加されたりしますし。
「日本側と組むのはめんどくさいなってあなたが思う気持ちはよく分かります。日本の基準や条件は細かすぎるんです。でもそれに従わないと資金も得られないから、私たちもこんなことまでって思いながらも聞くしかない。私たちもジレンマの中で問い合わせてるんです、ごめんなさい」って先週終に先方に送りましたからね私。
じゃないと、私のイメージ悪くなる一方でしたし。そうしたら、先方の雰囲気ちょっと柔らかくなりました。
※ 次の記事へ続きます。
posted by Yukari at 15:36| Comment(0) | 日記