2016年05月19日

元通りに回復してきました(後半)

5月15〜19日:
※ 前の記事の続きです。

 4月からFTCJに移って、今は全ての問題に私が解答できるよう、ちゃんと代替え問題が出されているように感じます。だから私にも100点満点のチャンスがある、2.3門間違ってもまだ8割以上で、B判定くらいが取れるんです。
そうすると自分の成績表に、B判定が安定して出てくるようになり、ともすればA判定を取るチャンスがあり…、自信が付いてきますね。別に私が変わったわけではなく、ちゃんと力を出し切れる環境が用意されただけですけれど。
 FTCJは本当に、私を2度救ってくれました、私に2度、できることがあるよって教えてくれました、6年前に初めてスタディーツアーでフィリピン行った時と、そして今。
 7月3日に、もうすぐこのブログでも紹介する大きなイベントがあって、フィリピンからゲスト・スピーカーを3人招くんですけれど。そのイベントの中で講演会の同時通訳をしてくださる方は弱視です。
なぜなら…、その人を見つけて来てイベント運営側に紹介したのは私だからです、視覚障害者ネットワークなかなか素晴らしいでしょ?プロに頼むと1日7万円以上払わなければいけない同時通訳、交通費と昼食代だけで引き受けてくださる方なんてそうそう見つかりません。あ、ちゃんと私が代わりに労働でお返しします。

 話しがそれてしまってごめんなさい、私を回復させてくれたことの三つ目は、まさにその同時通訳のお願いをして、引き受けていただいた時のメールのやりとりの中で起きました。
その方が、本当はNGOやJICAなど国際協力に関わる仕事がしたかった、でも時代が許さなくて、当時は視覚障碍者がそのような仕事に就ける時代ではなかったから仕方がなかった…と。
似たようなこと、私の恩師も言っていました。本当は国際協力の仕事がしたかった、国連職員など考えて、当時国連から大学に移ってきたばかりの教授に相談に行ったら、「障害者に国際協力はできない」と完全否定されて、その時代ではどうしても道がなくて諦めた夢。
他にも何人か知っています、時代が許さなくて国際協力の職に就くことを諦めた視覚障害の先輩方を。そういう人たちの多くが、他の職に就いた今でも、ボランティアでいいから国際協力に関わろうとしていて、NGOやJICAなどで働く後輩視覚障害者を応援してくれながら、何となく漂う未練のような寂しい雰囲気。
 で?私は何やってんだって思ったのです。どんなに条件悪くてもいいから国際協力の仕事に就きたかった先輩方がいた…、彼らが諦めざるを得なかった職で、私は働くことができている。
なのに、生活安定しないから、給料低いから、住居安定しないから、未来が見えないから、体調崩したから、日曜出勤多いから…、やっぱり安定した普通の生活したいなって、来年度から普通に日本でOLやること、かなり本気で考えましたからね。
それどころか、大学院受かって無事卒業して、やりたい仕事に就職したところまではよかったはずなのに、10カ月で転職、安定しない生活、予算不足で失職の危機って、いったいどこで道間違えた?…とぼやいてた先月。
でもこんなの先輩方からしたら、お前ふざけんな、だったら自分たちの時代と変わってくれっていう話しですね。障害者初の外務省インターン、(障害者にこれまで関わったことはない)一般のNGOに雇われる、途上国に派遣される…、全てほぼ前例のなかったこと、与えていただいたことに…、感謝するのを忘れ始めてました。

 視覚障害者の雇用の話しで言えば、昔はほとんどマッサージしかなかったものを、民間企業で働けるように切り開いた人たちがいて。民間企業でも最初は電話交換士という職種しかなかったのを、事務職など新たな職種を切り開いた人たちがいて。
民間企業に就職することがそれなりに当たり前になってきた今、次の会宅地は国際協力の世界でしょう。たまたま、そのあまり前例のない道に入ってしまった私がやるべきことは…?
NGOやその他国際協力団体に視覚障害者が就職するという道を、当たり前にしていくことですね?今の高校生たちが就活するころのために。
 そういう意味では、私はもっと、営業での企業回りや、他のNGOとのミーティングの場に出て行ったほうがいいのかな、フィリピンに行って、「全盲のプロジェクト・マネージャーが現地で事業を行い成功させた」という事例を作った方がいいのかな…って思ってきました。
 すごい今更ですが、この道で全力尽くしてみようかなと。時代のせいで夢を諦めた先輩方の分、実らせる意味も込めて。
posted by Yukari at 23:54| Comment(0) | 日記

元通りに回復してきました(前半)

5月15〜19日:
 何だかいろんな人から、色々な意味で心配されているようです、それは体調だったり一時木鬱病1歩手前だった精神面であったり、安定しない雇用と生活であったり今後であったり…、人に寄って重要視するところは様々みたいですけれど。
 ご心配をおかけし申し訳ありません、一時期よりは順調に回復してきました。少なくとも、予定があるのは分かってるのに(気分的に)朝起き上がれない、体が言うこと聞かない…などという症状はここ2週間くらい起きなくなりました。
あと、メールは読んでるけれど、パソコンに向かうのは拒否反応、返信メール書くのは調子がいい日しかできない…みたいなのも、最近はなくなりました。
そして、去年度の同僚の中にストレスから三半規管やられて片耳聞こえなくなった人などがいましたが、私も3月終わりごろもしくは4月初旬まで、なんとなぁく世界が斜めに感じられるような、歩いててフワフワする感じがあったのですが(高熱が出てる時に似ています)、最近はそういうのもなくなりました。
人に会ってる時だけ元気な演技して、終わって帰ってくるとどっと疲れて予定入れたこと後悔する…みたいなのも、4月終わりごろからはなくなり、そんなに演技しなくても普通に人と会う時間を楽しめるようになりつつあります。

 まだ完全に回復したとは言い切れない部分が残るのですが、少なくとも先月や3月後半に比べたら、色々と落ち着いてきた、元あった私を取り戻してきた気がします。
2カ月かかりましたね、まあでも、10カ月近くかけて蓄積されたもの、ともすればその前のイギリスでの9カ月も含めて蓄積されてきてたものなので、仕方がないような気もします。マイナスからやっと0に戻ったもの、これからプラスを積み重ねていきたいです。
 ここまで回復するのに、沢山の人達から助けていただいて、もちろん日々の身近なことから言えば、私を2カ月1Kのアパートに居候させてくれた、大学時代からの友だちだと思うんですけれど。

 その他に大きく三つあって。ひとつ目に、もう4月半ばまでは落ちて行く一方でどうしても立て直せなかった流れを変えてくださったのは、やっぱり高校時代の恩師でした。私の無気力の原因を、@生活面の不安定(給料も少なく雇用がいつまで続くかは助成金や寄付金を取れるかしだい)、
A住居の不安定(落ち着ける自分の家はなく半年後に日本にいるかフィリピンにいるかも分からない)、そしてB進路の不安定(来年自分がどこで何の仕事をしているか分からず未来が予想できない)という三つに特定し、一つずつの解決案を出してくださった時、少し先が見えたんです。

二つ目に、私の回復を大きく助けてくれたのは、現在の職場であるフリー・ザ・チルドレン・ジャパン(以下FTCJ)の同僚たちです。以前の記事にも書きましたが、相手を責めたり責任押し付けるなどの負の連鎖はなく、「ありがとう」が飛び交う職場、信頼されてるから裏切りたくないからみんな誠実に働く職場。
ちょっと変な例えを使いますが、去年度は「点字受験者用に代替え問題が認められてなくて、25点分は解けない問題が出されてるテストを受けているみたい」でした。
一応説明しますと、点字で試験を受ける私たちは、たとえば「イラストを見て答えなさい」や「漢字を書きなさい」などの問題だと解答できないので、たとえば「次の漢字を書きなさい」の問題は、「次の漢字を使った熟語を挙げなさい」という問題に代替えになっていたりするんです。
もし代替え問題になっていない場合は、解答できないのでそこの点数を落とすことになりますよね。今までがそうでした、たとえ満点を取ったとしても75点、25点分は解けない問題がそのまま出題されていたような10カ月。
私が通ってた大学では、90点以上がA判定、80点以上がB判定、70点以上がC判定、60点以上がD判定で、それ以下だと単位が認められずその科目を落とすという評価になっていましたが、これに当てはめてみると。
75点満点のテストを説いていた私は、どんなに頑張って満点取ってもC判定、AやBは最初から取れないんです。そして、75点は1問間違った瞬間70点になり、2問間違ったらD判定、もうぎりぎり単位を取っただけの低空飛行です。
そうすると、私の成績表にはCいやほとんどD判定ばかり並び、落第すれすれの劣等生レッテルが張られますね、たとえテストで間違ったのが2問だけだったとしても。自分でも、自分はD判定の人間のように思えてくるんです。
※ 次の記事に続きます。
posted by Yukari at 23:53| Comment(3) | 日記