2016年04月14日

事業開始のめど立たずフィリピン渡航延期です(前半)

4月8日から13日:
 8日の金曜日に、朝団体の事務局ミーティングで総務担当者から行われた助成金の結果発表で、一瞬時が止まった私と代表者。私たちが、8割くらいもらえるつもり(?)で申請していた助成金が受からなかったんです。
 どんな事業を行うかとか、その事業に幾らのお金が必要で今幾ら集まっているかとかも、去年度までのところなら団体の内部情報として部外者に伝えないっていう考え方だったんですけれど、団体が変われば考え方も違うみたいで。
FTCJでは、むしろどんな事業をやりたいかや、その事業には幾ら必要で、今何に困っているかっていう話しも外の人達にありのままを伝えて相談して、色々アドバイスもらったり、知識や情報教えてもらってねっていう、みんなで作り上げて行こうっていうスタンスです。
私としては、このFTCJの考え方のほうが自分に合っているかも知れない…、だから金曜日以降、あちこち営業で回ったり、視覚障害者関連団体などを訪問する時には、事業について話すだけじゃなくて、助成金がだめだったこと、その結果お金が足りなくて事業が開始できるかどうかが危うくなってることまで話しています。
来週には、点字毎日さん(視覚障害者向けの新聞ですが普通文字でも発行されてます)に取材していただき、そこでも事業の話しと、助成金落ちて資金が足りないっていう話しもありのまま伝えるつもりです。本当は事業が5月から開始しますっていうことを点字毎日さんに採りあげていただくはずだったんですけどね。

 資金のことだけで言えば、フィリピンにおける未就学視覚障害児への教育促進事業を行うのに、今年度1年間で約300万円必要だったのです。そしてFTCJがこの事業のために現在持っている所持金が80万円だけなんです。
私たちが応募していた助成金に受かれば150万円くらい保障していただける予定でした。そうすれば300万円中残りは70万円くらいになるから、それくらいなら他の助成金や、企業を回って寄付のお願いをすれば何とか足りるはずっていう考えだったんです。
ところが現在、300万円必要な内の80万円しか持っていないわけですから、これではさすがに先行き不透明過ぎて私をフィリピンに送ることはできません。正直この事業を開始できるかどうかも不確定ですし。そして、80万円しかないっていうことは、半年くらいたったら私の人件費も宛がないですし、新しい事業開始できない、人件費ないってなると私の雇用がいつまで続くかも、まだ誰も口にしないですが危ういです。

 さてここで、フィリピンにおける未就学視覚障害児への教育促進事業はいったいどんなことをしようとしてるかをお話ししましょう。
 これは当初の計画では今年度5月から始まる5年計画の事業で、4年目にフィリピン大学附属盲学校が、フィリピン大学のキャンパス内に完成します。
 以前から何度か書いているように、まあ統計データは諸説ありますが、一般の子どもたちの内95%以上が小学校に通っているのに対して、視覚障害者とでは5パーセント未満しか小学校に通えていないと言われています(詳細や情報の出所は興味ある人には詳細をお話しします)。
さらに、WHOが途上国における障害者の割合は約15パーセントと発表しているのに対して、フィリピン国民統計局が発表している障害者の割合は1.5%で、単純に言えば障害者の内10分の1くらいしか把握されていないことになります。
 ここから想像できるのは、未就学障害者の多くが出生届けも出されていなくて、だから政府に把握されていないんじゃないかってことですね。

 というわけで、私たちの5年事業の最初3年間は、地道に存在を把握されていない未就学視覚障害者(6歳から30歳)を探し出してリストにします。さすがに外国人が1軒1軒回っても、相手にされないですし無理があるので、私自身が家庭訪問をするわけではないんですけれど。
私と、フィリピン人調査員とで、各村の村長さんを訪ねて行って、こういう事業をやりたいから、お宅の村にもし未就学の視覚障碍者がいたらぜひ知らせてほしい、協力してほしいみたいなことをお願いするんです。その時、多少私自身を見世物にして、教育受けたら障害者でもこうして働けるからってことを体を張って説得することになるんですけれど。
各村には、ヘルスワーカーと言って、地域に根付いた看護士さんみたいな人たちがいて、ヘルスワーカーたちは村のたいていの家にどんな人がいるかを知ってるので、村長さんやヘルスワーカーから情報をもらおうと思って。もちろん協力してくれない村もあるでしょうし、ヘルスワーカーにさえ存在を知られていない障害者もいるでしょうから、取り逃しはあると思います、でもやらないよりはましなはずです。
 そして、村で10人以上未就学視覚障害者が出てきたら、障害者理解のセミナーを住民向けにやろうと思って。もちろん最初から小難しいことはできないので、はっきり言って私の見物会みたいになるかも知れないですけれど。
でも、世の中に視覚障害者という人達がいる、これは病気とは違って…ということや、ちゃんとしゃべれてちゃんと歩けて…みたいな、私たちにとって当たり前ですがもうそれだけ知ってもらうだけでも大きな違いなんですフィリピンの地方では。フィリピンではあまり言われませんが、インドやアフリカの一部では障害者は悪魔の乗り移りだとか、先祖が悪いことしたなどの迷信が本気で信じられてますし。
何か私と住民の人とで一緒におやつ作って食べながら世間話…とかでもいいかなって思ってます。視覚障害者がちゃんと料理できますよって示す意味も込めて。
※ 次の記事へ続きます。
posted by Yukari at 02:32| Comment(0) | 日記

2016年04月10日

転職しました

4月4日〜8日:
 去年度所属していた団体を3月いっぱいで退職することは以前からお話ししていましたが、さて私の4月からの転職先はどこだと思いますか?多くの人達が聞いたことがある名前です!
4月からは、認定NPO邦人フリー・ザ・チルドレン・ジャパン(FTCJ)で、フィリピンにおける未就学視覚障害児教育促進事業のプロジェクト・マネージャーとして働きます。FTCJは私たちのジュニア新書にも出てきた、私を1番最初にフィリピンに連れて行ってくれた団体です。
けっきょく、戻るべきところに戻ったと言いますか。6年前から会員として関わっており、大學3年の夏休みには1カ月インターンもさせていただいたので、スタッフはみんな私のこと知ってますし、むしろ何人かのスタッフの家には泊めていただいたことさえあるので、新しく入ったっていう気はあんまりしません。
学生時代から知られてるので、事務所でも、私より5歳以上上のスタッフたちからは「由香理」と普通に呼び捨てにされてる、まあそういう感じで気楽です。

 4月4日が初出勤で…、事務所行ったらスタッフの一人が7カ月の赤ちゃん連れて来ててびっくりしました。ミーティング中もお昼ご飯食べる時も、スタッフの誰かがかわるがわる赤ちゃん抱っこしてる感じで。今回の職場は、仕事と家庭を両立してるスタッフが多いです。
ちなみにその次の出勤の時は、行ったら5歳の男の子がダンボールで電車の駅作ってましたからね。この子どのスタッフの子?みたいな。何かアットホームです。
そのお母さんは、幼稚園向けの問題集(?)の問題を読み上げて、子どもが問題解いてる間に私たちに団体説明をし、また問題を読み上げては説明に戻るという器用なこと成し遂げてました。
 前の団体しか職場を知らない私にとって、他の事業の会計報告の詳細などまでちゃんとシェアされてることとか、問題点含めてオープンにしてみんなで話し合って考えるところとか、色々新鮮です。

 テンション上がったのはとってもきれいな名刺を渡された時でしょうか。去年までは、経費節約(?)のため、厚紙に名刺を印刷して、インターンさんたちが地道に切り分けてたんです。
それはそれで手作り感あっていいのですが、どうしても素人の手作りには限界があります。それに厚紙なので水分を吸いやすくて、何だか見た目が古びた感じにすぐなってしまいます。
 FTCJは業者に頼んでるみたいで、トランプみたいにきれいな紙で、箱に200枚ぴしっと並んだ、水色に強調すべき文字はオレンジで印刷された、とってもきれいな名刺渡されました。私の分はこれに点字書いて、名刺入れに入れた時、何だか新しい教科書をカバンに詰めた新学期の気分になりました。
 そしてそして!去年の役職は「プロジェクト・オフィサー」つまりたんなる平社員だった私。今年度からは「プロジェクト・マネージャー」に格上げです!!とは言っても、これってIT業界などならプロジェクト・マネージャーは10年くらい働かないとなれない偉い立場らしいんですけれど。
ほとんどのNGOは、事務局長、プロジェクト・マネージャー、プロジェクト・オフィサーそして無給のインターン(たいてい学生)の4段階しかないですからね。新しい事業が立ち上がってそれの担当者になった瞬間プロジェクト・マネージャーですから、別に社会人1年目でもなれます。
 そんなこんなで、新しい職場での勤務が始まっているのでした。
posted by Yukari at 17:15| Comment(0) | 日記

2016年04月06日

2年間で変わった??

4月2.3日:

 土日はブラインド・テニスの仲間たち、つまり視覚障害の先輩方と集まってお花見&夜はその内一人の家に集まる…みたいな感じでした。
と言っても、皆さんご存知のように、土曜日、この日東京の最高気温は13度、しかも曇り、いやいやこんなの公園でお花見してたらたんなる我慢大会でしょ、凍え死ぬでしょって思った私は、みんながお花見を終えて家飲みに引き上げる夕方5時から参加、お花見は29日に別の友だちと新宿御苑行きましたから。
 8人ほどで集まっていたのですが、一部の人を除いて、ほとんどの皆さんとは2年ぶりの再会です。大學3年生の時は比較的時間があったらしく、毎週末のように参加していたテニスの練習。
しかしそのままフィリピンに1年留学し、4年生の時は大学院への受験勉強と卒論でそれどころじゃなくて、けっきょくテニスに参加したのはたぶん帰国直後と卒論出した直後の2度だけかも知れないです。
大學を卒業した年の4月のお花見、つまりちょうど2年前に皆さんに会っていて、そこからまあ、夏に一緒に海へ行ったメンバーなどもいるのですが、9月からはイギリス留学、そのままフィリピンで就職…と、2年たった今、自分がまだそのテニスクラブのメンバーとして名前残ってるのかどうかさえ知りません。

 中にはこのブログをときどき覗いてくれている人もいて、何となく近況は知ってくれていたり、気にかけてくださってたりすることも、今回再開して知りました。
ところで?何やら複数の人達から、石田さんの雰囲気変わった、落ち着いた、2年たつと変わるんだね…みたいなことを言われたんですけれど。これだけなら、まるでポジティブな意味合いに聞こえるでしょ?
同時に、色々大変だったのはブログで知ってるけど、こうして実際に会ってみると、2年間で苦労を積み重ねた感が分かるって言われたんですけど…、これって褒め言葉?いや何かそうでもない気がするぞ。
とりあえず、以前の石田さんらしくない、2年前の石田さんのイメージあるから不思議な感じ…みたいなことを何度も言われました。
彼らの言葉を色々借りるならば、2年前までは世の中に怖い者なんてない、じっとしてられない漢字だったのが、色々社会の荒波にもまれて慎重になった、と。間接的に、面白みや個性がなくなったっていう雰囲気も聞こえましたけどね。

 私は、別にそんなに変わったつもりがないのですが、そして2年前と同様に参加しているのですが、みんなからは、石田さんが普通になっちゃったけど大丈夫?みたいな、もはや心配さえされてました。
まあね、確かに大学生でテニスしてたころ、社会人たちの中に自分一人学生で甘やかされてたので、わがまま放題好き勝手なことしてましたからね。
たとえば、こういう家飲みの席で、夜になってくると、女性人はアイスクリームなど食べ始めたりするんですけれど。まだカップのアイスが凍ってて硬くてスプーンで救えないので、酔って先に寝てる人の顔にアイスのカップ押し付けて温めたり!!
私はアルコール飲まないのでいつも最後まで素面ですし、居酒屋で若干時間が余るため、レモンサワーとおでんのスープにテーブルの上にある調味料を一通り入れた特製ミックスジュースを作って、これ飲んで下さいと代表者に渡したり!!
それこそ言いたい放題好きなことを言ってた時期ですね。大學生ですから寛大に許されていましたが…、さすがに現在26の社会人2年目がそのままだと、そっちのほうが心配でしょう。
 ですがしかし、みんなから石田さんらしくなくなった、元気が亡くなった、勢いがなくなったと心配されると…、私もしかして方向性間違ったんじゃないかと若干不安になってきます。

 まあでもそうやって1日目に心配された私も、こうして
大学時代からを知っている、何でも受け入れてくれる先輩方の温かい中にいるとだんだんと化けの皮が剥がれて来て、翌日の朝には10歳以上上の人に、下の自動販売機でコーヒー買ってきてくれないと起きれない…みたいなこと言ってましたけどね(笑)
posted by Yukari at 00:22| Comment(0) | 日記