2016年02月28日

小さな優しさ

2月25日〜27日:

 普段オフィスにいるとスタッフの半分くらいは日本人で、しかも日本人とフィリピン人で何となく仕事場所分かれてるので、実質1日英語もタガログ語もほぼ使わずに終わることさえあって、フィリピンにいながらもあまりフィリピンにいるという気はしません。
私たちがごくたまにフィリピンにいるんだと実感できるのは、スタディーツアーの通訳などで事業地に行って、お仕事の合間に現地の人達と話す時と、あとは週末などお休みの日にプライベートで出かけた時くらいです。
 今回は、ああフィリピンにいるんだ、ここは私の好きな国なんだって実感した、小さなエピソードたちを書いて行こうと思います。

 もう公表してもよくなってきたので…。皆さんだいたいお気づきだと思いますが、私は3月末の契約満了をもって、現在の団体を抜けて、他に転職します。
 と言っても、来年度も主にフィリピンにはいるんですけれど、とにかくICANの職員として、ここの事業地であるパヤタスに来るのは25日のスタツア通訳が最後でした。
 スタディーツアーの参加者たちが車でパヤタスを後にし、車には乗りきれない私たちスタッフ4人は公共交通手段を使って帰るんですけれど、帰る前にフェアトレード商品を作っているお母さんたちに挨拶しに行きます。
4人のお母さんたちの内一人は、私が1番最初に通訳を任された時に家庭訪問に行った家のお母さんです。通訳の練習で先輩と一緒に来た時を合わせれば、彼女たちに会ったのは6回ですね。

「私、今日がここに来るの最後なので、お世話になりました、ありがとうございました」と言うと、「え、最後なの?もう来ないの?日本に帰るの?」などとお母さんたちが口々に。
 そうしたらお母さんたちが「思い出にこれ持って帰って?」と、まずはリーダー格の人が自分の作ったテディベアを持って来て、さらに一人が「私の作ったバッグに入れて渡したら?」と、彼女が作ったバッグ追加。
他のお母さんたちも、「私が作った物も持って帰って」「これもこれも」と、小銭入れ、カエルの巾着小銭入れ、ブックカバー…などなど、次々最初にもらったバッグの中に飛び込んできて、私の手首にはめられるブレスレット。
これ、本当ならお母さんたちの生活のためにここで売ってる商品ですからね。中には私の手首に付けたブレスレットに値札が付いたままなことに気が付いて、「あらいけない、値段付いてるは」とあわてて値札を取ってくれたり。

お母さんたち4人に囲まれて、次々握手し、「私の作った物も持って帰って」「これもあげるは」「これもこれも」と追加されていく温かさ…、たった6回しか来てないのに、愛されてるなって感じさせてもらいました。
隣で見ていた、同様にこの3月でやめる同僚も、「最後にいいもの見せてもらった」と。彼女は私の1週間後に帰国するのでもう1度パヤタスに来ます。

 さて翌日。今度は他の日本人先輩スタッフと二人、ビザ関連の手続きで…、イミグレーションって日本語で何て言うんでしたっけ?入国管理局…だったでしょうか、そこに行ってました。
バスを下りてから、イミグレーションまで5分ちょっと歩くのですが、車通りの激しい道路を渡ろうとしたら、そこにあったファーストフード店の警備員のお兄さんが、「どこ行くの?渡るの?」って声かけてくれて。
先輩が「イミグレーションまで行くんです」と言ったら、そのお兄さんが渡りやすいように車を止めてくれて。この国は信号や横断歩道なんてないので、渡るためには若干命がけで車を止めて急いで渡りきるしかないんです。
大きな道路なので、真ん中に1度歩道があって、さらにまた道路を渡るのですが、今度も先に立って車を止めてくれて、さらに万が一に備えて私を守るかのように、止まってる車たちと私との間を歩きながら道路を渡ってくれます。
私たちが無事その大きな道路を渡り終えると、お兄さんは何も言わずに元板道路の反対側のファーストフード店へと帰って行きました。…優しい。

 さらに、ビザの手続きが終わってイミグレーションを出た後。ここでも道路を渡るのですが、たぶん普段は、イミグレーションから出てくる外国人相手に物乞いをしているのであろう男の子が、またしても車との間に立って、渡りやすいように車を止めてくれて。
たぶん私が持ってる白い杖を見て彼らなりのサポートをしてくれているんですけれど。NGO職員、ストリートチルドレンに助けられるっていう。

 そして土曜日。3月で契約終了して日本へ帰る同僚と二人、お土産を買いに行ったんですけれど。フィリピン原産のオーガニックな材料で作った、化粧品や石鹸などを置いてるお店があって、そこに行きたかったんですね。
事前にインターネットでお店の場所は検索してあったのですが、フィリピンの地図って適当なので、地図ではここにあるはずの場所にお店がなかったんです。その辺の人に聞いても、オーガニックな化粧品って庶民にとっては高級で普段行かないお店なので、路上で屋台を出してる人たちなどは誰もそのお店を知らなくて。
 途中でココナッツオイルを買うために薬局に入って、支払を終えた後、同僚が近くの助成に、ヒューマン・ネイチャーというそのお店を知らないかどうか聞いてました。
 するとその女性は隣にいた友だちに、「ねえ、ヒューマン・ネイチャーって知ってる?」と聞いて、その人も知らなかったのですが、今度はレジの方で働いてたお兄さんに、「ねえ、あなたこの辺の出身?ヒューマン・ネイチャーって知らない?」
さらにお兄さんは、お店の奥の方にいたお兄さんに、「ねえ、ヒューマン・ネイチャーってお店知ってる?君この辺に住んでるでしょ?」みたいな。
お店の中でいわゆるトランス・ジェンダーな感じのお兄さんが一人、そのお店を知っていて、店員さんみんな集まってきて、そのお兄さんの説明を私たちに向かって英語で訳してくれたり、地図を書いてくれたり。
 こういう、困ってる人をほおっておかない、自分が知らなかったら他の人に聞いてくれて、みんなで寄ってたかって相談しながら助けてくれる感じがこれぞフィリピンなんです。
まあ、こうして私たちを囲んで地図を書いたり説明したりしてる間、薬局の店員さん全員仕事ほおりだしてますけどね(笑)
posted by Yukari at 14:38| Comment(2) | 日記

大変だけれど不幸では無い

2月25日:

 2月24日から28日まで、スタディーツアーが行われており、日本から12人の参加者と日本事務局のスタッフが来ていました。私は2日目、いつもどおりごみ処分場であるパヤタスに暮らす人たちを訪問する時の通訳として入ります。

 地域さん作などをした後、二つの家に分かれて家庭訪問をし、現地のお母さんに直接質問などをするのですが。12人の参加者が二つに分かれ、スタッフも二つに分かれるので、先輩スタッフのほうにインターンの学生、私のほうに日本から来ているスタッフが入って、各自の家へ向かいます。
 家庭訪問の後、各自の訪問した家がどんな感じだったか、どんな話しを聞いたかなどをもう一つのグループにシェアするのですが、これは毎回のことなんですけれど、どうも私のグループの参加者たちのほうが、パヤタスで暮らす人たちはそんなに困っていないのようなことを言う傾向があります。
 今回の場合、むこうの家のほうはお父さんだけしか働かなくて良くて、しかも収入はこちらの3倍(それでも最低賃金以下)、子どもたちのほとんどが学校に通っている、こっちは夫婦共働きで毎日ゴミ拾い、子どもたちは誰も学校行って無いという、客観的に見れば私たちが訪問した家庭の方が生活苦しいんですけれど。
 でもむこうのグループのほうが、彼らはこんなに大変なんだ、可哀そうなんだ、夢があるのに叶えるための手段がないんだみたいなことを話し、
こっちのグループは、確かに生活は苦しいけれどでも現状に満足してるらしい、もちろん子供を学校に行かせられないのは悲しいけれど、それでも家族一緒に暮らせることが幸せって言ってる…、という感じの発表になります。
 これは絶対、通訳の人の影響ですね。通訳はもちろんお母さんが言ってることを約したり、ちょっと説明を加えたりするだけなんですけれど、でもどんな質問の方向へ持って行くかとか、ある程度話の流れを左右できてしまいます。
 長く働いているスタッフは、住民の人達はこんなに大変なんです、こんなに頑張ってるのに環境が悪いから前へ進めない、だから誰かが状況を打破できるように助けてあげなきゃいけないんです…という方向へ話しを持って行きます。
 ただ私は、自分が「障害者可哀そう」みたいな適当な解釈に長年さらされてきている結果、どうもそれに疑問があります。たぶん障碍者と同じ、彼らの生活は大変だけれど不幸では無い。
私たちみたいな先進国の生活ができないなんて不幸せで可哀そうに違いない…、私たちみたいに物が見えないなんて不幸せで可哀そうに違いない…、たぶんこの二つの見方はものすごく似てるんです。
私がゲストスピーカーとして行った時も、目が見えないと大変だろうから暗い人になるんだろうと思ってたけれど、すごく明るくて笑顔な人で驚いた…のような感想がかならずあります。それと同じように、ごみ山で働く人たちが笑顔で驚いたという感想が出ます。

 参加者からはときどき、お金持ちの人達の生活を見てどう思いますか?などの、ちょっと失礼な質問が出ます。たぶん、「羨ましい、ああなりたい」という答えを期待してるようなんですけれど、現地のお母さんたちは、「別に?彼らは彼らだから」って答えて、日本人たちは何だか物足りない反応をするんですね。
このお母さんたちの反応の意味はものすごく分かります。「健常者を見てどう思いますか?」って聞かれても、「別に?」ですよね。そうなりたいかと聞かれたら、まあお金全額出してくれるんならなってもいいけど…、程度です。
そして、彼らには彼らなりに一生懸命考えて住みあげてきた人生があるんですから、人はそんなに単純に「お金持ちの暮らしが羨ましい、私たちの人生外れだった」とは言いません。

 だからどうしても、私が通訳を担当したほうの家は、生活は苦しいけれどでも毎日小さな幸せを感じながら暮らしてます…、欲を言えば色々あるけれどでも今の生活に満足してますみたいな雰囲気になるんです。
住民の人たちは困っていて可哀そうに違いないと決めつけてる人達にとっては、何だか物足りなかったり、「彼らは向上心が足りない、生活を改善しようっていうやる気がない」などと言う人もいるんですけれど。
障害者に当てはめてみます?視覚障害者はそれを改善しようっていう向上心がない、なんで毎日病院行ったり目のリハビリしたりしないんだ、やる気がない…って言われてる感じですよ!!
いやあなたにとっての幸せが、みんなの幸せじゃないんですけど…でしょ?どうしても人は、自分にとってのあたりまえが、世の中のあたりまえだと思ってしまいます。
中には、なるほど彼らは大変だけれど不幸ではない、彼らなりに積み上げてきた生活があるんだなって、何か感じて帰ってくれる人もいるんですけどね。
パヤタスの人達にもっとも幸せな瞬間を聞くと、日曜日に家族みんなで家の掃除をする時とか、みんなが健康で暮らせる時とか…、忙しい日本人が見落としているような幸せを気付かせてくれます。

 最後に完全に余談ですが。家庭訪問が終わって、再び二つのグループが集まる場所に戻った時、私のほうに同行していた日本事務局からの先輩スタッフに「由香理さん、安定の通訳やね」と言っていただきました!!
「英語とタガログ語混ぜて通訳できるくらい、タガログ語伸びたねぇ」と。彼女は私の上司の上司に当たり、6月の入社初日(日本勤務)の私、そして8月末のスタディーツアー時の私を見て、今回半年ぶりの再会なんですけれど。
パヤタスでの家庭訪問通訳だけは、上の人のお墨付きをいただきました…、まあこれが、最後の通訳ですけどね。
posted by Yukari at 13:17| Comment(0) | 日記