2016年02月14日

ドラえもんのポケット

1月14日:

 さて私は、チョコレートはもらっていませんが、博士課程に在籍してる男性から、論文書くための文献ならもらいました(ロマンチック感0ですね)。
以前から書いているように、日本やインドなどの教授陣と、ユネスコ・バンコクの職員などなどで、ユネスコから予算をいただいて、インクルーシブ教育関連の学術本を完成させ、Routledgeというイギリスの出版会社から出す予定なんですね。そこに、博士号を持っていない人が私含めて二人入ってるんですけれど、文献を紹介してもらったりなどお世話になってるのはそのもう一人です。

 私は実は今、締切まで残り4週間をきったのに論文執筆にかなり行き詰っています。そろそろ他の人達はさすがに論文を完成させているんじゃないかと気持ちだけ焦ります。
 中心となっている先生から、メアリー・ウォーノックというイギリスの学者のインクルーシブ教育の解釈について、説明する論文書いてって言われてたんですね。まるで彼女が、「障害児なども含めて全ての子どもたちは地域の一般校へ通うべき」って提唱したかのように言われているけれど、それは勘違いで、実際にはウォーノックはそんなこと言って無い。
彼女は「障害児も含めて全ての子どもたちは教育によって能力を伸ばす機会を得るべきで、教育によって能力を伸ばすという意味では、どんな子どもたちも教育による目標は一緒なんだ」って言っただけなんです。
 ところがですね?ウォーノックについて調べれば調べるほど明らかになるのは、彼女は全ての子どもたちが同じ教育目標を持ってるんだと提唱してるだけで、けっしてインクルーシブ教育の提案者ではありません。30年後に、インクルーシブ教育の現状に異議を唱え、今の流れを作ってしまった責任は自分にあるのかも知れないって言ってるのは確かなんですけれど。

 インクルーシブ教育とはそもそも何だったのか、何を切っ掛けに誰からどう生まれた概念で、それがどういう風に解釈されて国際的な流れとなり、どういう動きで現在のような「全ての子どもたちが地域の学校で学びながら適切なサポートを受ける」みたいな定義になっていったのか。
これをまとめる論文、今回の学術本で1番メインとなる論文を書くようになぜか任されてるわけなんですけれど、調べれば調べるほどその流れは単純じゃない。ウォーノックだけを調べてたんじゃ書けないんです。
主催者の先生が、こういう感じの論文書いてって私におっしゃった、その「こういう感じ」のような単純明快な話しじゃなかったんですよインクルーシブ教育の拝啓。

 とてもじゃないですが、残り1カ月で、最近修士号取ったばかりのような私の手におえるような範囲ではなくて、文献ももはやどこからどう辿ったらいいのか行き詰って、爆発寸前途方に暮れて、私よりインクルーシブ教育の研究に関して知識が有るであろう博士課程の人に助けを求めたのです。
その人いわく、ユネスコなどの国際機関がインクルーシブ教育って提唱する時は、何とでも解釈できる曖昧な漠然とした定義で出すしかないっていう制限があって、だから国際機関からの定義が抽象的で何とでも解釈で着てしまうのはあたりまえだと。
それなのに、その曖昧な抽象的な定義を研究者がそれぞれに解釈して、まるで「ほら、インクルーシブ教育とはこれだってユネスコが定義してますよ」みたいな感じで、個人が勝手に解釈を狭めた者を各自の論文で使用したり、
あるいは各国の政府も、自分の国の教育政策に合うように、「国際機関がインクルーシブ教育を促進してて、うちの国でも国際的な流れに乗ってインクルーシブ教育やりますよぉ」みたいな、国によって解釈の違うインクルーシブ教育を実行してる…、
そもそもこうやって、国際機関とそれぞれの国の政府と、それぞれの研究者とが思い描いてるインクルーシブ教育の定義や範囲や解釈がぜんぜん違うのに、それら全部ひっくるめて、最初にインクルーシブ教育を提案したのは誰とか、最初にやった国はどことか、その教育法がいいか悪いかが議論されてるのがそもそもな混乱の元なんだと整理してくれて、私心から納得。
そうなんですよ、国際機関としてのインクルーシブ教育はどういう背景で生まれてどう広がったか、研究者の中でのインクルーシブ教育という言葉はいつ生まれてどう解釈されて行ったか、各国においてのインクルーシブ教育政策はいつ生まれてどう解釈されて広がったか…、これらを分けて考えないとわけが分からなくなるんです。
ついでに言うと、イギリスやアメリカでのインクルーシブ教育と、途上国におけるそれでは、解釈も政策もまたぜんぜん違いますし。

 でもこれらに気づいた時、主催者の先生が求めるような論文はそもそも成り立たない、インクルーシブ教育とはそもそも何だったのかなんていう壮大なトピックが、一つの論文で説明可能なくらい、コンパクトにまとまるきれいな流れではないっていうことに気づくんです。
終わった…、この本のメイン論文は成り立たないっていう、これ出版の根底から危うくなる話じゃないですか。…ってかなぜ、メイン論文を書く責任を私が持ってるの?もっと怖いのは、私たちでさえ気づけること、世の中の博士号持ってる研究者たちはなぜ気づかない。研究者たちの間でインクルーシブ教育に関連する論文が発表され始めてから、もう40年以上もたつのになぜ気づかない?
これ、「インクルーシブ教育とはそもそも何だったのか」っていう論文がもし書けたら、世の中をひっくり返すくらいの大論文ですし、そうじゃなくても私たちが今行きついた、「国際機関と各国の政府の政策と、研究者の議論を分けないとインクルーシブ教育は議論できない」っていう論文にしただけでも、メイン論文になりそうなトピックですよ。

 こうして途方に暮れた私に、その人はさらに、インクルージョンの概念について書かれてる論文など、文献を紹介してくれて、私の論文執筆が少しでも前に進めるようにヒントを提示してくれました。
さらに、私が紹介された文献を見つけられずにネット上を探し回っていたところ、その人が手元に持ってる文献データの中から必要箇所をすぐに探し出してくれて、データをシェアしてくれたり。以前自分がそのデータを探したことが合って、通常では手に入らないからと。
この文献のこのページ辺りを読めばと、私がこの先経験するであろうことすでに先回りで提示してくれたこの至れり尽くせりな感じ…、すみません、お手数をおかけしております。
博士課程の人ってすごいんですね。そのレベルの差だけ身を持って実感しました。この人には今までも、「障害児教育とアイデンティティ形成の関連性についての文献知りませんか?」とか、「ウォーノック論文の解釈についての文献って何かありますか?」などと、かなりピンポイントでマニアックなトピックで質問したことがあるんです。
でも毎回かならず、「だったら、誰々作のこういう文献は?」とその場で何冊か挙げてくださったり、そのデータを送ってくださったり。今日も、さすがだなぁとその様子をフェイスブック上で見ながら私一言、
「まるで、インクルーシブ教育や障害児教育に関するドラえもんのポケットみたいですね!」。面白い例えだねって言われたのですが、でもそう思いませんか?
論文に行き詰った時の、「こういうトピックの文献出して、ドラえもん」ですよ。いやぁ、すごい人がいますね。とにかく、今私のピンチを唯一救ってくれそうな人であることだけは確かです。
むしろ絶対、メイン論文は私なんかじゃなくて、この人が書いた方がいい。そう思って、「もう1本書きたくなりませんか?」とか、「半分こしませんか?」などと聞いたのですが、私が持ってる2本書くという課題、引き取ってはもらえませんでした。
posted by Yukari at 23:35| Comment(0) | 日記

息子さんは幾つもらったでしょ?

1月14日:

 さあて、1日が終わろうとしていますが、やっぱり誰からもチョコレートはもらわなかった私です、まあ1歩も家から出てないからあたりまえ。
 夕食時にホストファザーが、「今日ってバレンタインデーだったのか、明日だと思ってた」と言うので、「今日ですよ、私たちへのチョコレートはどこですか?」って冗談で聞いたんですけれど。私たちとはつまり、私とお手伝いさんのことですね。
食事の後お茶を飲みながら、「日本でもバレンタインデーってお祝いするの?」って聞かれて、「ご存知化も知れませんが、日本は女の子が男の子にチョコレートをあげる日ですよ」って言ったら、知らなかったみたいでホストファザーはずいぶん興味を持ったご様子。
奥さんが日本人なのでてっきり知ってると思ってました。ここからしばし、私は日本のバレンタインデーとホワイトデーについて、そして本命チョコと義理チョコと友チョコがあるっていう説明や、ホワイトデーにお返しするっていう説明などをします。
さて、私たちが気になったこととして、このホストファミリーには、日本の高校に通ってる息子さんがいるんです。彼は日本で女の子からチョコレートをもらったんだろうか、彼は幾つもらったんだろうかと3人でニヤニヤ。

 ちなみにフィリピンでは、とにかく男性から女性に渡す日ですが、チョコレートだけを渡すとそれはいわゆる義理チョコです。だから男子学生が女の先生や上司やたんなる女友達にチョコレートを渡しても、それは別に何って意味がないんですね。
本命の助成には、チョコレートと一緒に花束を渡す…、これには特別な意味があります。渡していいのは男性側だけ、フィリピンにおいて女子から告白するのははしたないこととされてます。
 ホストファザーに、日本では本命の人にもチョコレートを渡すんだったら、本命化義理チョコかはどうやって見分けるんだって聞かれて。数百円レベルの簡単なパッケージのチョコだったり、手作りでもクッキー3枚レベルとかだったら義理チョコです、
もしデパートで買った高級なチョコレートに手紙が添えてあったり、手作りできちんとラッピングされたチョコだったりしたら本命の可能性高いです…、でも年齢にもよりますっていう説明を。
これはぜひぜひ息子さんに、どういうチョコレートもらったか聞かないとって3人でまたニヤニヤ。高校生くらいの男の子だったら、何人からチョコレートもらえたかが男の子たちの間でのステータスですよ、人気のある子は沢山もらえますって…、なぜか食卓盛り上がるこの話し。
ホストファザーやお手伝いさんにとっては、日本のバレンタインデーとホワイトデーの分かは目新しくてかなり興味深いようです。
あいつちゃんと、義理チョコでも1カ月後にはお返ししなきゃいけないっていう日本の文化分かってるかなって、フィリピン育ちの息子さんをちょっと心配するホストファザーなのでありました。

posted by Yukari at 23:25| Comment(0) | 日記

誰か私にチョコレート……

2月13日:

 えっと?なんで明日の予定がないんでしょうか?誰か私にチョコレートくれてもいいんですよ?もらってあげます(笑笑)
ってか誰か相手にしてください…、バレンタインデーに部屋で論文書くとか、前日仕事でごみ処分場で働く人たちの案内とか行ってる場合じゃない、そろそろ売れ残り感出てきた26歳なのでした。
本にも書いたように、フィリピンのバレンタインデーの雰囲気って日本のクリスマスイブの夜ですからね、町とかショッピングモールや、ちょっと雰囲気のいいレストランなんかに行くと世の中カップルで溢れかえってますよ。ともすればペアルックで歩いてますし、帰り道の女の子たちは得意げに花束持ってます。
あ、基本的に女性から男性に渡すのは日本だけであって、他の国は普通は男性から女性にチョコレートと花束を渡す日ですからね。
 え、私ですか?…だから明日は1日部屋で論文書く、今日も仕事だったって言ってるじゃないですか。チョコレート?ありませんそんなの。

 さて、今日はまたもやフィリピンに住んでいる日本人たちを対象とした1日事業地体験で、私は朝から午後2時くらいまでの半日、通訳とアシスタントとして同行していました。
最初、参加者の皆さんに団体のオフィスに集まっていただき、そこから車で出発します。今日1日ずっとメインでアテンドをする先輩と私が前半のスタッフです。
車が動き出してちょっとした後、先輩が私に小声で、「ごめん、ゆかりさん。私オフィスに携帯忘れたから、インターンの子にテキストして次の事業地に持って来てもらって」と。
「またですか?」と思わず私。この先輩、前回の事業地体験の時にもオフィスに携帯忘れて、前回はごみ処分場に行ってお昼頃になってから携帯ないことに気が付いて、さて携帯をなくしたのはどこでだろう…ってなったんです。
事業地体験の時って、スタッフ同市頻繁に連絡を取りあうんですね。私とこの先輩も家庭訪問で二つの家に分かれますし、あるいはごみ処分場の次に行く事業地に、計画通り進んでるから何時ごろ到着します…などと、こまめに連絡入れるんです。
そういう日に、メインでアテンドしてる人が携帯持って無いのは大惨事!!そしてなぜか、そういう携帯がもっとも重要な日に限って、オフィスに携帯を置き去りにする彼女。
 私からすぐ、オフィスに残ってるインターンの子に連絡入れて、その子が午後から行く二つ目の事業地に携帯を持って移動するっていう見事な連携プレーです。

 フィリピンでは、3月4月が乾燥してて風も吹かなくて本当に暑い、いわゆるサマーと呼ばれる季節になります。3.4月が本番ですが、バレンタインデーのころから急に夏が来て暑くなってくるんです。
実際昨日から、扇風機使ってても来る風がなまぬるくて、本当に暑い時には扇風機は涼しくないんだってことを実感させられるような気温です。ごみ処分場の家々、扇風機があればいいほうで、風通しもけっしてよくない、太陽照りつける道。そして気温が上がるとごみ山からのにおいも立ち込めます。
私たちはオフィスにもエアコンはないですし、うちの家にもエアコンがないので、こういう暑い中で日中外にいることもある程度慣れているのですが、普段日系企業や外交官としてクーラーの効いたきれいなオフィスでスーツ着て働いてる人たちは、たぶん今日1日私たち以上に疲れると思います。

 自分の中での前回の反省点を改善しましょう。前回の反省点、次の事業地の人との連絡などをするタイミングがつかめず、フィリピンの現地の人達が説明してる時に自分は携帯で同僚にテキストしてる…みたいな姿を見せることになってしまったこと。そして、お昼ご飯時にみんながシーンってならないように話題提供をする、それが何とも不自然になってしまうこと。
 ごみ山近くにある建物の屋上から、ごみ山を見ながら先輩が説明する時間があるのですが、こうしてみんながこっちを見て無い瞬間に、次の事業地にいる同僚にテキストします。
次の事業地が路上で育った青年たちがやっているパン屋さんで、時間短縮のため、事前に今日あるパンのリストを聞いて注文を取り、袋詰めしておいてもらって、現地で受け取りさえすればいいようにしてもらうのです。
パンのリストを携帯のテキストで受け取り、それを手元のブレイルセンス・ミニ(点字の電子手帳)に書き写したころ、先輩の説明も終了。さて、村を散策に出て、その後二手に分かれて家庭訪問、私が通訳として前に出る1番メインのお仕事です。

時間を決めてあって、私たちのチームはいつも先輩より3分くらい早めに戻ることにしているのですがこれも理由があります。先輩チームを待ってる間に、さっき取得した今日のパンリストを基に、自分チームの人達(5人くらい)からのパンの注文を取ります。
その間に先輩チームが帰ってきて、先輩チームの5.6人の注文を取ってる間に先輩は次のプレゼンの準備。準備が終わって先輩が話し始める時、私は後ろで、紙を壁に貼り付けるために、マスキングテープを切って両面テープを作る役に徹します。
 テープ作りが必要な量に達したら、先ほど取ったパンの注文を、次の事業地で待ってる同僚にテキストします。そのころ、質疑応答も終わって先輩のプレゼンが終了するので、私はプレゼンに使われた紙などを外す役、皆さんはお昼ご飯へ。
遅れてお昼ご飯に参加し、先輩がお水がなくなった人のために買いに行ってる間、何かしらで会話を続けます。まあでも今日の参加者の皆さんは、互いに2.3人ずつ知り合い…などが多かったので、会話は途切れないんですけれど。自分から提供すること諦めて、どこかで会話が生まれたらそこに入り込むことにしました。
 その後も、皆さんがお昼ご飯終わって談笑してる時や、フェアトレード製品を見たり購入したりしていて辺りがザワザワしている瞬間を見計らって、次の事業地で待ってる同僚に進捗を報告します。
 アシスタント3回目、そろそろ私と先輩の息もばっちりと言うか、どのタイミングで自分がどう動けば先輩が1番楽なのかっていうのが分かってきました。
posted by Yukari at 00:17| Comment(0) | 日記