2016年02月16日

インクルーシブ教育とはそもそも何だったのか?(その1)

2月16日:

 今日は私はお仕事お休みなので、家で論文執筆に集中する日です。先日紹介していただいた論文も読み終えて…、はてさて、これは自分の論文としていったいどこから手を付けたらいいものだろうかと頭がごっちゃになってきたので、今ここに書いて皆さんにお話しすることで頭を整理しようと思います。
したがってこの記事に結論があるのかどうか分かりません、いろんな議論や背景を説明したうえで、「ほらやっぱり、インクルーシブ教育って何だったのかわけ分からないでしょ?これ一つの論文にならないでしょ?」ってカオスな状態で終了する可能性もあります。
もしこの記事に書くことで、何かしら一つの道筋が見えたら、あるいは自分なりの意見や主張が成立したら、それが冷めないうちに論文執筆に入ります。
 頭が整理できて無くて、どこからお話しするのがきれいにまとまるのかも分かって無いんです。以下、話しがあっちこっち行ったり、議論が反れたりして分かりにくいかも知れないですがお付き合いいただけたらと思います。これ、きれいにまとまったら大論文になりますから!

 1番最初に、私なりの最終結論を書くと、インクルーシブ教育も、ソーシャル・インクルージョン(共生社会)も、とりあえずまずは定義を一つに統一して、せめて何の議論をしてるのかがはっきりするように交通整理したほうがいい…って思います。
現在インクルーシブ教育の定義がいっぱいありすぎて、下手するとインクルーシブ教育の定義は研究者の数だけ存在するって言われてるんですね。それなのに、インクルーシブ教育はいいか悪いかとか、今後どうしていくべきかとか議論できるわけないんです、一人ひとり思い浮かべてる定義違うんですもん。
もう全てはここに尽きます、いろんな論文を読んだり各国におけるインクルーシブ教育の研究事例読んだりしてて思うのは、「ねえ、ところでさ、あなた何の議論してるの?」ってなるんです。お願いですから定義は一つにしてください。

 まずですね、インクルーシブ教育賛成派の言い分でよくあるのは、「インクルーシブ教育を行えば、ソーシャル・インクルージョン(共に生きる社会)の達成に繋がる」っていう意見です。
ですが、ここ2ヶ月ほど私がいろんな文献調べて分かったこととしては、これは順番が逆です。そもそも世の中には、ソーシャル・インクルージョンっていう言葉のほうが先に生まれてるんです。

アメリカやヨーロッパに沢山移民がやってくるようになった…、そういう人たちが差別されたり、就職できなかったり、公共の場に出てこられなかったり…、そういう状態がソーシャル・エクスクルージョンって呼ばれてたんですね。日本語で言うと社会的排除でしょうか?
こんな社会よくないよ、ソーシャル・エクスクルージョンをなくそうよ…、世界人権宣言などなど、ソーシャル・エクスクルージョンの反対意見として生まれたのが、ソーシャル・インクルージョンです。この時まだ、世の中にインクルーシブ教育という言葉はありません。
もう一つ言えば、この時ソーシャル・エクスクルージョンの対象とされていたのは主に移民であって、まだこの時あんまり、エクスクルージョンの話しに障害者考えられてません。

 インクルーシブ教育は、こことはまた別の流れから生まれます。
イギリスでは1972年、アメリカでは1975年、教育法の改定で全ての子どもたちが教育を受けなければいけないようになったんです。それまでは、重度障害児などは、教育不能児として、学校に行かなくてもよかったんですね。
1970年代にも色々と細かいやりとりがあったり、政権が変わる度に若干方針が変わったりもしていますが、細かいことを抜きにして大ざっぱに言えば、イギリスやアメリカが1970年代から1980年代にかけてやったのは、「インテグレーション(統合」です。
別名「投げ込み」とも言われていて、とりあえず障害児だろうが少数民族だろうが同じ学校に入れ解けばいいんでしょ?そこで彼らが授業を理解してるかどうかは知らないけどとりあえず全ての子どもが学校通ってますよ…っていう、現在一部の途上国がやってるものです。
同時に、全ての子どもたちを一般学校に投げ込むのなら、もう特別支援学校はいらなくなるので、特別支援学校を次々廃止。
 ところが、そういうのを10年ちょっとやってたら、学校教育が大変なことになったんですね。いやどう見ても、授業に付いて行けてない子どもたちいるでしょ、明らかにいじめられてるでしょあの子たち…。知的障害児が授業中に騒いだり逃げ出したりして、一般の子どもたちへの授業まで進まなくなってるぞ…っていう。

 それでイギリスやアメリカは次の方法考えます。たんに投げ込んだからいけなかったんだ、全ての子どもを同じ学校に入れるだけじゃ無くて、通常学級で学習するにおいて支援が必要な子どもには、それぞれに適したサポートをしなきゃいけない。
ここでようやく、これまでの「インテグレーション(投げ込み)」の改定バージョンとして、「インクルージョン」という言葉が生まれます。最近よく聞く、「インクルーシブ教育」の誕生です。この時すでに1990年代、もう私も生まれてます。
 ここで改めて確認したいのは、上述した「インクルーシブ教育誕生」の流れの中に、ソーシャル・インクルージョンの話しなし。現在ではごちゃまぜに使われたりするこの二つ、それぞれ別々の流れの中で生まれております。
※ 次の記事に続きます。
posted by Yukari at 16:05| Comment(0) | 日記

2016年02月14日

ドラえもんのポケット

1月14日:

 さて私は、チョコレートはもらっていませんが、博士課程に在籍してる男性から、論文書くための文献ならもらいました(ロマンチック感0ですね)。
以前から書いているように、日本やインドなどの教授陣と、ユネスコ・バンコクの職員などなどで、ユネスコから予算をいただいて、インクルーシブ教育関連の学術本を完成させ、Routledgeというイギリスの出版会社から出す予定なんですね。そこに、博士号を持っていない人が私含めて二人入ってるんですけれど、文献を紹介してもらったりなどお世話になってるのはそのもう一人です。

 私は実は今、締切まで残り4週間をきったのに論文執筆にかなり行き詰っています。そろそろ他の人達はさすがに論文を完成させているんじゃないかと気持ちだけ焦ります。
 中心となっている先生から、メアリー・ウォーノックというイギリスの学者のインクルーシブ教育の解釈について、説明する論文書いてって言われてたんですね。まるで彼女が、「障害児なども含めて全ての子どもたちは地域の一般校へ通うべき」って提唱したかのように言われているけれど、それは勘違いで、実際にはウォーノックはそんなこと言って無い。
彼女は「障害児も含めて全ての子どもたちは教育によって能力を伸ばす機会を得るべきで、教育によって能力を伸ばすという意味では、どんな子どもたちも教育による目標は一緒なんだ」って言っただけなんです。
 ところがですね?ウォーノックについて調べれば調べるほど明らかになるのは、彼女は全ての子どもたちが同じ教育目標を持ってるんだと提唱してるだけで、けっしてインクルーシブ教育の提案者ではありません。30年後に、インクルーシブ教育の現状に異議を唱え、今の流れを作ってしまった責任は自分にあるのかも知れないって言ってるのは確かなんですけれど。

 インクルーシブ教育とはそもそも何だったのか、何を切っ掛けに誰からどう生まれた概念で、それがどういう風に解釈されて国際的な流れとなり、どういう動きで現在のような「全ての子どもたちが地域の学校で学びながら適切なサポートを受ける」みたいな定義になっていったのか。
これをまとめる論文、今回の学術本で1番メインとなる論文を書くようになぜか任されてるわけなんですけれど、調べれば調べるほどその流れは単純じゃない。ウォーノックだけを調べてたんじゃ書けないんです。
主催者の先生が、こういう感じの論文書いてって私におっしゃった、その「こういう感じ」のような単純明快な話しじゃなかったんですよインクルーシブ教育の拝啓。

 とてもじゃないですが、残り1カ月で、最近修士号取ったばかりのような私の手におえるような範囲ではなくて、文献ももはやどこからどう辿ったらいいのか行き詰って、爆発寸前途方に暮れて、私よりインクルーシブ教育の研究に関して知識が有るであろう博士課程の人に助けを求めたのです。
その人いわく、ユネスコなどの国際機関がインクルーシブ教育って提唱する時は、何とでも解釈できる曖昧な漠然とした定義で出すしかないっていう制限があって、だから国際機関からの定義が抽象的で何とでも解釈で着てしまうのはあたりまえだと。
それなのに、その曖昧な抽象的な定義を研究者がそれぞれに解釈して、まるで「ほら、インクルーシブ教育とはこれだってユネスコが定義してますよ」みたいな感じで、個人が勝手に解釈を狭めた者を各自の論文で使用したり、
あるいは各国の政府も、自分の国の教育政策に合うように、「国際機関がインクルーシブ教育を促進してて、うちの国でも国際的な流れに乗ってインクルーシブ教育やりますよぉ」みたいな、国によって解釈の違うインクルーシブ教育を実行してる…、
そもそもこうやって、国際機関とそれぞれの国の政府と、それぞれの研究者とが思い描いてるインクルーシブ教育の定義や範囲や解釈がぜんぜん違うのに、それら全部ひっくるめて、最初にインクルーシブ教育を提案したのは誰とか、最初にやった国はどことか、その教育法がいいか悪いかが議論されてるのがそもそもな混乱の元なんだと整理してくれて、私心から納得。
そうなんですよ、国際機関としてのインクルーシブ教育はどういう背景で生まれてどう広がったか、研究者の中でのインクルーシブ教育という言葉はいつ生まれてどう解釈されて行ったか、各国においてのインクルーシブ教育政策はいつ生まれてどう解釈されて広がったか…、これらを分けて考えないとわけが分からなくなるんです。
ついでに言うと、イギリスやアメリカでのインクルーシブ教育と、途上国におけるそれでは、解釈も政策もまたぜんぜん違いますし。

 でもこれらに気づいた時、主催者の先生が求めるような論文はそもそも成り立たない、インクルーシブ教育とはそもそも何だったのかなんていう壮大なトピックが、一つの論文で説明可能なくらい、コンパクトにまとまるきれいな流れではないっていうことに気づくんです。
終わった…、この本のメイン論文は成り立たないっていう、これ出版の根底から危うくなる話じゃないですか。…ってかなぜ、メイン論文を書く責任を私が持ってるの?もっと怖いのは、私たちでさえ気づけること、世の中の博士号持ってる研究者たちはなぜ気づかない。研究者たちの間でインクルーシブ教育に関連する論文が発表され始めてから、もう40年以上もたつのになぜ気づかない?
これ、「インクルーシブ教育とはそもそも何だったのか」っていう論文がもし書けたら、世の中をひっくり返すくらいの大論文ですし、そうじゃなくても私たちが今行きついた、「国際機関と各国の政府の政策と、研究者の議論を分けないとインクルーシブ教育は議論できない」っていう論文にしただけでも、メイン論文になりそうなトピックですよ。

 こうして途方に暮れた私に、その人はさらに、インクルージョンの概念について書かれてる論文など、文献を紹介してくれて、私の論文執筆が少しでも前に進めるようにヒントを提示してくれました。
さらに、私が紹介された文献を見つけられずにネット上を探し回っていたところ、その人が手元に持ってる文献データの中から必要箇所をすぐに探し出してくれて、データをシェアしてくれたり。以前自分がそのデータを探したことが合って、通常では手に入らないからと。
この文献のこのページ辺りを読めばと、私がこの先経験するであろうことすでに先回りで提示してくれたこの至れり尽くせりな感じ…、すみません、お手数をおかけしております。
博士課程の人ってすごいんですね。そのレベルの差だけ身を持って実感しました。この人には今までも、「障害児教育とアイデンティティ形成の関連性についての文献知りませんか?」とか、「ウォーノック論文の解釈についての文献って何かありますか?」などと、かなりピンポイントでマニアックなトピックで質問したことがあるんです。
でも毎回かならず、「だったら、誰々作のこういう文献は?」とその場で何冊か挙げてくださったり、そのデータを送ってくださったり。今日も、さすがだなぁとその様子をフェイスブック上で見ながら私一言、
「まるで、インクルーシブ教育や障害児教育に関するドラえもんのポケットみたいですね!」。面白い例えだねって言われたのですが、でもそう思いませんか?
論文に行き詰った時の、「こういうトピックの文献出して、ドラえもん」ですよ。いやぁ、すごい人がいますね。とにかく、今私のピンチを唯一救ってくれそうな人であることだけは確かです。
むしろ絶対、メイン論文は私なんかじゃなくて、この人が書いた方がいい。そう思って、「もう1本書きたくなりませんか?」とか、「半分こしませんか?」などと聞いたのですが、私が持ってる2本書くという課題、引き取ってはもらえませんでした。
posted by Yukari at 23:35| Comment(0) | 日記

息子さんは幾つもらったでしょ?

1月14日:

 さあて、1日が終わろうとしていますが、やっぱり誰からもチョコレートはもらわなかった私です、まあ1歩も家から出てないからあたりまえ。
 夕食時にホストファザーが、「今日ってバレンタインデーだったのか、明日だと思ってた」と言うので、「今日ですよ、私たちへのチョコレートはどこですか?」って冗談で聞いたんですけれど。私たちとはつまり、私とお手伝いさんのことですね。
食事の後お茶を飲みながら、「日本でもバレンタインデーってお祝いするの?」って聞かれて、「ご存知化も知れませんが、日本は女の子が男の子にチョコレートをあげる日ですよ」って言ったら、知らなかったみたいでホストファザーはずいぶん興味を持ったご様子。
奥さんが日本人なのでてっきり知ってると思ってました。ここからしばし、私は日本のバレンタインデーとホワイトデーについて、そして本命チョコと義理チョコと友チョコがあるっていう説明や、ホワイトデーにお返しするっていう説明などをします。
さて、私たちが気になったこととして、このホストファミリーには、日本の高校に通ってる息子さんがいるんです。彼は日本で女の子からチョコレートをもらったんだろうか、彼は幾つもらったんだろうかと3人でニヤニヤ。

 ちなみにフィリピンでは、とにかく男性から女性に渡す日ですが、チョコレートだけを渡すとそれはいわゆる義理チョコです。だから男子学生が女の先生や上司やたんなる女友達にチョコレートを渡しても、それは別に何って意味がないんですね。
本命の助成には、チョコレートと一緒に花束を渡す…、これには特別な意味があります。渡していいのは男性側だけ、フィリピンにおいて女子から告白するのははしたないこととされてます。
 ホストファザーに、日本では本命の人にもチョコレートを渡すんだったら、本命化義理チョコかはどうやって見分けるんだって聞かれて。数百円レベルの簡単なパッケージのチョコだったり、手作りでもクッキー3枚レベルとかだったら義理チョコです、
もしデパートで買った高級なチョコレートに手紙が添えてあったり、手作りできちんとラッピングされたチョコだったりしたら本命の可能性高いです…、でも年齢にもよりますっていう説明を。
これはぜひぜひ息子さんに、どういうチョコレートもらったか聞かないとって3人でまたニヤニヤ。高校生くらいの男の子だったら、何人からチョコレートもらえたかが男の子たちの間でのステータスですよ、人気のある子は沢山もらえますって…、なぜか食卓盛り上がるこの話し。
ホストファザーやお手伝いさんにとっては、日本のバレンタインデーとホワイトデーの分かは目新しくてかなり興味深いようです。
あいつちゃんと、義理チョコでも1カ月後にはお返ししなきゃいけないっていう日本の文化分かってるかなって、フィリピン育ちの息子さんをちょっと心配するホストファザーなのでありました。

posted by Yukari at 23:25| Comment(0) | 日記