2016年01月04日

お見送り

1月4日:

 私は現在、ご主人がフィリピン人、奥さんが日本人のお宅にホームステイさせていただいているわけですが、今日から1年間、奥さんのほうは研究リーブで今年は日本滞在なんです。
ホストマザーが4日の朝には出発することもあって、少なくとも前日の1日は一緒に過ごせるように、私は1月2日に帰ってきていたのでした。

 さて4日の早朝。自分の出勤は9時なので、最大7時半過ぎまで寝ていられるのですが、今日は4時15分に最初の目覚ましをかけて寝ます。ホストマザーが家を出るのが4時半だと聞いていました。
と言っても、私自身2時ごろまで寝られなかったので、4時15分の目覚ましは実は知らなくて、4時半ごろにホストファザーが、タクシーを呼んでいる電話の声で目が覚めました。よかった、間に合った。あわてて部屋を出ます。
キッチンとリビングになってるところに荷造りを済ませたスーツケースが置かれてて、日本の冬に対応できるように色々着込んだホストマザー。私が出てきたことに気が付いて、「あら、由香理さん、ごめんなさいね朝早いのに」
私だってお見送りしたいですよ、寝てる間に1年後…は寂しいです。2時間ほどしか寝てないので、体の中はまだ寝てるんですけれど。

 ホストマザーが日本に行ってしまう、私の不安げな顔に気づいて、こっちへ来てくださいました。英語で物事を伝えるのには別に困らないですし、日本人同士だからこそいつまでも敬語を使って打ち解けないというのもあるのですが…、でもやっぱり、この家に日本語で話せる相手がいた、女性がいたというのは心強いものでした。
仕事の話し、進路の話し、フィリピンの視覚障害児教育の話し…、夕食の後お茶を飲みながら何度聞いてもらったか分からないですし、分野は違うものの研究者なので、修論で追い込まれた時に調査手法や分析手法の書き方で助けを求めた相手もやっぱり彼女です。
まあいつまでも先生と生徒みたいな関係は抜けなくて、前のホストファミリーなら「マミー」と呼んでたはずなのに、私はいまだにホストマザーを●●先生と呼びますけどね。
 今とくに、ホストファミリーとICANとの間でちょっと色々起きていて、その結果、うちの家のお手伝いさんはもう私のガイドとしては働いてくれないことになって…、フィリピンに戻ってはきたものの、私は週末の外出や外部への訪問業務どころか、日々の買い物に行ける保障さえなくなってるんです。
この問題はまだしばらく続きそうで、3月に再び帰国するまでの2カ月間、徒歩圏内のオフィス以外にどこにも行けないかも知れないという不安な現状もあって…、今このタイミングでホストマザーが日本に行ってしまうことは、かなり心細いのです。

「じゃあ、最後にお祈りしてもいいですか?」と私の隣に来て彼女。プロテスタントの家なので…、フィリピンの多くの家庭がそうですが食事の前などにはかならずお祈りをします。
でも今日は何かいつもと違うと言うか。二人並んで、私の肩を抱いて、身の安全や残り2カ月を無事過ごせることなどを祈ってくださる彼女。知ってるんです、このタイミングで置いて帰ったらこの後私が困ること。今まさに、大きな問題が起きている最中で。
手から伝わってくる温かさに、初めて「先生」ではなくて、ホストマザーを感じました。別に、私も3月には日本へ行きますし、そもそも彼女は2月末に一瞬戻ってくるので、けっして今から1年会えません…とかじゃないんですけれど。なぜかお祈りの横で泣きそうになってる私です。
距離とか時間の長さの問題じゃなくて、職場とホストファミリーとの間で色々起きている今このタイミングで、今からまさに問題が本格化するこのタイミングで、彼女に置いて行かれることが不安過ぎる。
私、明日からの外出の保障ないですからね、ガイド見つかってないですからね、極論を言えば、3月に帰国する時に空港まで送って行く人が決まって無いわけですから。今回も、本当にフィリピンに戻ってこれるかどうか、空港までの迎えの保障は前日の夜までなかったんです。これから2カ月、こういう生活なんです。

 お見送りしてそこから1時間以上寝られなくて、ようやく再び眠りについたのが6時半、1時間後には目覚まし。今年初出勤ですが、勤務中に眠くならなかったのは奇跡ですね。
今日の夕食からは、ホストファザーとお手伝いさんの3人だけで食卓を囲みます。何だか何かが足りない、…べつに夕食に常にみんな揃うわけでもなかったのに、今日1日寂しい私です。
posted by Yukari at 22:39| Comment(0) | 日記