2016年01月10日

「学ぶ権利」であり同じ環境で学ぶ権利ではない?

1月10日:
 相変わらず、論文書くために朝から本を読んでおります。ちなみに、現在私が一生懸命読み込んでいるのは、『イギリス特別なニーズ教育の新たな視点ーー2005年ウォーノック論文とその後の反響』で、これは二つの論文と一つの手紙を1冊の本にまとめたものです。
元は英語の文章ですが、第1章になっているウォーノック論文の原本のタイトルは、『Special Educational Needs: A New Look』と言います。日本語版は点訳されていて無料で手に入れることができます。
英語版の原本は、これを日本語に訳した人の一人から第1章のウォーノック論文の部分だけはもらえたのですが、第2章のノーウィッチの論文、そして第3章のノーウイッチに対するウォーノックの返事の手紙…の部分は、英語の元文章が手に入っていなくて現在探しています。
そもそも、元の英語タイトルが分からなくて。私が執筆する論文が英語なので、英語の元文相がないと引用に使えないんです。
卒論提出後2カ月、11月半ばで私のサセックス大学のアカウントがクローズされてしまったので、今ではサセックス大学のオンライン図書館などが使えなくなってしまったのです。クローズされる前に、ありとあらゆる文献をダウンロードしておけばよかった…。この本がサセックスで手に入るかどうかは知らないですけれど。
 簡単に言ってしまえば、一般的には「インクルーシブ教育を最初に提案した人」だとも思われているメアリー・ウォーノック自身が、その提案から約30年後くらいに出した本で、
「自分が1978年に言ったことと、今のインクルーシブ教育の状況は同じではない。自分はこういう状況にしろとは言って無い、むしろ全ての子どもを一般学校で学ばせようとする今の状況間違ってるから、政府は早く調査委員会を立ち上げて現状を見直した方がいい」って言ってる論文が第1章です。
第1章で、1978年のウォーノック報告以降に寄せられた様々な批判や評価に筆者自身が2005年のこの論文で返答していたり、自分たちの30年前の提案はどこがまずかったのか、何が考慮されていなかったのか、これからどう改善していくべきなのか、なぜそう思うのかなどイギリスの社会状況や1970年以降の教育データに基づいて提案してます。
第2章では、ウォーノック論文や、その後のメディアや他の学者たちの反響を見たうえで、ノーウィッチという別の学者が、「みんなウォーノックの論文誤解して批判で騒ぎすぎでしょ、この人そんなに間違ったこと言って無いよ、むしろこの人の提案正しいよ」って意見を述べてたり、
「でも一部の議論は、もうちょっと検討する必要があると思う」とノーウィッチ自身の議論を展開しており、これに対して、ウォーノックが手紙で返答している部分が第3章です。
障害児教育を専門とする人ならかなり面白い、…がしかし同時にかなりマニアック(?)な論文なので、私自身大学4年の時に最初にこれを読んだ時は、半分くらいしか内容を理解できなかったような気がします。ウォーノックの主張は分かったんですけれど、細かい部分が理解できなかったというか。
イギリスの大学院に通って、イギリスの障害児教育の状況や教育システムも何となく理解した今、そして教育開発の現場(フィリピンにおける視覚障害児教育)にいる今、改めて面白いですこの論文。

 そして私が今回任されているのは、1978年のウォーノック報告と、そして2005年のこの論文とをひたすら読み込んで、最初にウォーノックが提案した、インクルージョンのための教育とはけっきょく何だったのか(現状と何が違うのか)、
さらに現在のようなインクルーシブ教育を見て、ウォーノックは何がおかしい、どうすべきと言っているのか、政府や社会は「インクルーシブ教育」の意味をどう勘違いしてしまったのか、…それを分野外の人でも分かるように、ウォーノック論文を改めて説明する論文(?)を書くことです。
ウォーノックの発言そのままのほうがもちろんいいわけですが、ちょっと専門的過ぎて、障害児教育を専門としている人、あるいはイギリスにおける教育に精通している人じゃないと、完全には分からないので、インクルーシブ教育を国際的に推進しているUNESCOの職員などではたぶん通じない…、だから国際機関の職員や別に障害児教育を専門としているわけではない教育学研究者が、読めば分かるものを…と。
しかも1冊の本がたった20ページほどの論文になるわけですから、自分の主張を勝手に短縮して、しかも勝手に一般的な言葉で説明するっていう、筆者のウォーノックにはとっても申し訳ないんですけれど…。この人、2005年の時点で80代半ばくらいの年齢なんですけれど、まだ健在なのでしょうか?

 さて、改めて本を読みこみながら、まさにこれだ、こう言えばよかったんだと納得したり、なるほどなと思った発見などが沢山あります。
その内の一つが、一般的に「障害のある子どもを特別支援学校に分離するのは人権侵害だ。一般の子どもたちと同じ学校で学ぶ権利を保障すべきだ」と言われている、統合教育推進派がよく使う主張に対する反論です。
これに対してウォーノックは、「私たちが守らなければならないのは、彼らの学ぶ権利そのものであって、他のみんなと同じ環境で学ぶ権利ではない(第3節、点字15ページより引用)」って言ってるんです。ほんとこれ!
特別支援学校に通わせることは「人権侵害」だとか「差別」だと主張する人、さて何に対する権利の議論をしているか、ですよね?同じ場所に滞在する権利なら…まあそうなのですが、学校は学習の場、保障されるべきは「各自の能力を最大限伸ばせる方法で学ぶ権利」です。
 ウォーノックは1978年に、「全ての子どもが、自立・享受・理解という共通の教育目標を目指すべきである」とは主張したけれど、だからと言って障害のある子も英語が分からない子も全てを同じ学習環境に統合しろとは言って無い、
エリート層である政府官僚たちが、「自分たちのような健常者の主流にマイノリティを統合していくことがインクルージョン」といいように解釈して進めて行ったんだって、提案者が怒ってますよ!

 ウォーノックはけっして、「インクルーシブ教育」には反対してません。ただし彼女が思う「インクルーシブ」は、現在の意味とは違うんです。全ての子どもが一般学校で学ぶという意味ではなくて、
「全ての子どもたちが、各自のニーズに適した方法で、各自の能力を最大限伸ばせる環境課で学び、社会に参加していく上での能力を十分に身に就けること」です。
だから、能力を伸ばす環境として一般の学校が適している子ならそれでいいですし、あるいは子どもによっては、特別支援学校に通うことが適しているのなら、それこそが「インクルーシブ教育」だというのがウォーノックの主張です。
インクルーシブ教育の発案者の論文をちゃんと読めば、そういう風に書かれてるのに、なぜこうなった、「インクルーシブ教育とは、全ての子どもが地域の学校で学ぶこと」みたいな解釈が当たり前になった現在。もう、発案者の最初の言い分なんて世界から忘れ去られてる感じが気の毒です。

 そして私は、ウォーノックとまさかの共通点を見つけました!石田由香理の「共に生きる社会」の定義は、「全ての人が、他人に対して何かしらできることがある社会」ですよね?
ウォーノックのインクルーシブ教育の定義は、「全ての子どもたちが、各自の能力を最大限伸ばせる環境で学習すること」であり、そうして各自が最大限能力を伸ばせる環境で学習することが、インクルーシブな社会に繋がるって言ってるんです。
私の言う「できること」が、ウォーノックのいう「各自の能力」であり、それを発揮させることが、「共に生きる社会」あるいは「インクルーシブな社会」に繋がるって言ってるところで、たぶん言葉は違うものの私たちはほぼ同じことを言ってる気がします。
さて?ウォーノックさん、こういう解釈をしながら論文を書き始めようとしている日本人がいますが、訂正いや反論があったら、出版する前に化けて出てくださいね?
posted by Yukari at 12:35| Comment(0) | 日記

2016年01月09日

みんな平等と一人ひとりの違いを尊重したいジレンマ

1月9日:
 さて、週末ですね、お仕事はお休みです。もっとも、来週の土曜日は通訳として勤務日になるみたいですけれど。
現在私は、勤務時間中のお仕事を合わせると、主に三つのことをしています。それの内の一つ、週末など休みの日に集中しているのが、4月にRoutledgeというイギリスの出版会社から出される、インクルーシブ教育に関する学術本に載せるための論文執筆です。
えっと、正確にはまだ論文は書き始めてさえいなくて、その前の段階で文献読んでるだけで…、それも、つい昨日くらいから始めたばっかりなんですけれど…。締切は3月1週目だと思ってた、いやそれでも2カ月をきってて論文2本書くのは、十分ピンチなんですけれど。

1月5日に、障害児教育関連の教授にお会いした際、「インクルーシブ教育の論文、もう出しました?」って聞かれたんです。この先生も、本に載せる論文を1本受け持っている一人です。
 12月にフィリピンにいらした主催者の先生から、締切は3月1週目と聞いていた私は、「え?論文って?」みたいな感じで。でも、以前論文執筆を担当しているみんなに送られていたスケジュールを見て気が付いた、本当は論文の締め切り、1月中が望ましいらしい!!
いいえ、正確に言えば12月中に提出するのが優等生、1月中が締切、2月提出だとちょっと遅刻だけれど研究者としてはセーフ(何だそれ?)、そしてどんなに遅くても3月1週目までには提出すること…っていう、それじゃ2月までに提出する人は絶対いないでしょって感じの締め切りなんですけれど。
私が12月半ば時点でまだ書き始めてさえいなかったこと、そして急に担当論文が1本から2本に増えたことなどを考慮して、主催者の先生は、あえて最終締め切りだけを教えてくださったのだと思います。
当初のスケジュールに気づいて、ようやく私も少し焦り始めました。ってか3月1週目でさえ、2本の論文が間に合うのか。ページ数などに決まりはなくて、何だっていいみたいですが、まあ各論文20ページくらいでしょう、何しろ私は2本担当してるので、他の先生方と同じペースではだめなんです。
平日は9時間以上はオフィスにいますし、フィリピンってこの暑い気候や天候の問題なのか何なのか、日本に比べて、ただ生活しているだけで体力を消耗します。日本ならば、毎日外出していても、睡眠時間が少なくてもけっこう平気で体力はそれなりにあるほうな私でさえ、フィリピンでは勤務がある平日は、夜6時間以上は絶対寝てないともたない、起きてもだるさが残るのが現状です。
修論の時、どうやって早朝や夜に論文執筆しながら、平日の勤務もこなしてたんでしょう?週4日の勤務日は、家に帰って食事終えたら寝てしまってる私です。25歳と26歳の差ですかね…(笑)?
というわけで、お仕事が休みな残りの三日間は必死ですよ、論文書かなきゃ、文献読まなきゃ。これにプラスして、週に1回2時間のタガログ語レッスンと、月に1回の障害者雑誌への記事連載、台風被災地に暮らす視覚障害者との連絡なども続けています。

 同時に、あんまりストイックに論文執筆などに自分を追い込むと、色々精神面が貧しくなっていくことを知ってます。ガイドがいなくて外出できなくなった今、気分転換の手段も限られますからね。
 だから、朝からずっと文献読んでると言っても、実はその場所はベッドの上!しかも、ローズのアロマオイルで部屋をお花畑な雰囲気にしながら(笑)、机の上に入れたてのアールグレー…、ただし、そのコップの隣にあるエナジードリンクが現実的!
 イギリスにおける特別支援教育の考え方は…とか、イギリスの障害児教育は、「全ての子どもを平等に扱う」という考え方と、「それぞれの子どものニーズは違っており、各自のニーズや状況を尊重する」という二つの考え方の矛盾のジレンマの中にある…、とかいいう、小難しい内容を扱ってはいるんですけれど。
物理的には、アロマの部屋の中で、ベッドの上で本読んでるだけですからね私。これでもちゃんと、論文書こうとしてますよ。体力は温存しながら、頭だけお仕事しましょ。
posted by Yukari at 17:05| Comment(0) | 日記

やっぱり未就学障害児の教育に行きつく

1月5日:

 この1週間、日本から障害児教育を専門とする教授がフィリピンにいらしていました。私も、勉強会などで数回お会いしたことがある先生です。その先生の主なフィリピン渡航目的は、知り合いにシニアボランティアとして、フィリピンの地方で障害児教育促進活動に携わっている人がいて、その人の訪問でした。
したがって、1週間弱、地方でそのシニアボランティアの方の活動先などを見学したのち、二人で1日マニラに寄って、私とも1時間半ほど話す機会を設けてくださったのです。先生とは数回目の再会、シニアボランティアの方とは初対面になりますが、先方が私の本を読んでくださっているらしく、むこうは私を知ってます。
お二人とも、何十年と日本で障害児教育の現場に携わった後で、途上国における障害児教育促進活動に、現場で、あるいは研究者として関わっている人たちです。

 シニアボランティアの方と、互いの事業についてや活動の様子の情報交換をして、意外なほど共通点が多いことに気づきました。私は視覚障害児教育に特化しており、むこうは特に障害の種別は決めていませんが。
フィリピンにおける障害児教育促進を考える時、外国人の視点から見て1番気になるのは、明らかに未就学児が9割以上でそっちのほうが多いのに、未就学児は大変だからそのまま見なかったことにされてて、1割以下のすでに学校へ行ってる障害児への教育支援だけが行われていること。
それ、未就学児への教育普及事業を始めないと何も変わらないだろっていうところに、やっぱりこの人も行きついているみたいで。ただし、さすがフィリピンの現地の人達が何十年と見なかったことにしていた問題だけあって、いったい何をどこから始めたらいいいのやら、未就学障害児はどこにいるのやら、事業立ち上げは困難を極めます。
さらに興味深いのは、未就学視覚障害児への教育普及事業を始めるにあたって、事業実施機関として選んでいるのが、私も彼女も、大学なんです。私の場合、フィリピン大学を選んだ理由はいくつかあって、
@ フィリピン大学の教育学科が数年前、設備が整っていないことを理由に視覚障害学生の入学を断った罪悪感を持っていて、学科のほうも障害者の就学環境の改善の必要性を認識していること。
A フィリピンのトップ大学なので、指導法や現状研究という意味でもやる気と人材を持っていますし、教育期間への発言力も持っていますし、自分たちがフィリピンの教育を引っ張って行くんだというプライドや使命感も持っていること。
B 窓口となってくださっている教授が、日本で学んだり教えたりなど、日本に20年滞在した経験があり、したがって日本の制度や日本人と協力しての事業実施に慣れていること(互いに理解しやすい)。
C 一般の子どもたちならば、未就学児を対象とした教育普及プログラムやその事業の評価・研究などをすでに行って、ある程度成果を上げていること。
D 研究校として附属小学校、附属高校を有しており、その校舎の教室の一つを障害児教育の場に(家賃無料で)提供していいと言ってくれていること。
E 何より、先生方が障害児教育促進の事業に興味を持って実施する気になってくださっていること、
などが挙げられます。大学と共同で事業を実施するならば、これ以上条件の揃ったところは、そうないと思ってます。

 私のほうは、フィリピン大学がすぐに障害児教育促進の話しに賛成してくれ、それ以降積極的に関わってくれるので、あまり困っていないのですが、シニアボランティアの方が行き詰っているのが、現地の大学が乗ってくれないという話しでした。
一般に、大学の特別支援教育学科が対象者としているのは、すでに学校に来ている障害者だけです。学校にやってきた障害学生をどう教えるか、それを研究する分野であって、未就学の障害者は特別支援教育の守備範囲ではなくて、福祉の守備範囲になってきてしまうんですね。
だから、地方の大学では、最初こそ目新しい事業に少し興味を持ってくれたものの、のちにそれは自分たちの管轄ではないと言うようになって、未就学障害児への教育普及の考えは、その日本人の方だけが説得するも響かず…のような状況で停滞しているらしく。現地団体がやってくれないと、単なる押し付けになってしまいますし。
フィリピン大学が興味を持っていてその気になっているという意味では、マニラのほうが1歩リード(?)しているかも知れません。本当の意味で教育の専門家が集まっている機関だからこそ、学校にやってきた障害者だけのことを考えていても特別支援教育の状況は改善されない、なぜ障害者が学校に来ないのかに目を向けてこなかったのは、自分たちの盲点だったと受け入れてくれたフィリピン大学。
 フィリピンを代表する大学の教育学部が、未就学障害児の事業に取りかかろうとしている、そして障害のある当事者が事業立ち上げに関わっている…、これは地方の大学を説得するものすごくいい事例になると言って、シニアボランティアの方は、事業地でみんなに見せるんだと写真を撮って現地へと帰っていきました。
posted by Yukari at 13:03| Comment(0) | 日記