2015年12月26日

全てお見通しな優しさに感謝

12月24日〜25日:

 日本へ帰国しているものの、今回はあまり人に会う気がなかった、休憩が目的だったというのは、以前からあちこちで公表しているとおりです。
髪の毛や顔が残念になっている…など物理的な見た目などに加えて、いろんな意味であまり自信持って人にお見せできる姿じゃないというか…、とくにお世話になってる方々に。
けっして、何一つ悪いことはしていない、自分なりには一生懸命その場その場で最善を尽くしてきたつもりで…、でもあまり誇れない近況があって、また近い内に、きっと半数くらいの人が賛成しないことを行う…、あえていえばそれが唯一のグッドニュースなのですが。
だから、恩師や点訳ボランティアさん、その他お世話になってる身近な人は、今この姿ではもっとも会いにくい人たちなのです、顔見世できないというか。

 そんな私の様子、本当にカメラか何かでずっと見てるかのように、全て見透かしたようなメールが、8年お世話になっている点訳ボランティアさんから届いたんです。帰国してるんでしょ、私たちのお仕事は明日までですよ。でもお忙しいでしょうから無理しないでね、と。
 確かに、年末に帰国すると以前メールの中にちょっと書いたことはありました、でもそれを日にちまで憶えてくださっていて。会いに来ていいんだよとむこうから催促してくださったことと、でも強制はしない気遣い。何となく顔見せできなかった私を引っ張り出してくださるような。
連絡をしてるわけでもないのに、なぜかこの人たちには全てがお見通しです。そしてずっとこの人たちに育てられた浪人から大学・大学院時代。急に会いたくなってきた、いやでも見せられた姿じゃない。
迷います、迷い始めました。25日と26日はずっと家で過ごすはずだった、25日なんて顔はまさに傷だらけですし、近況を聞かれて自信持って話せることが有るか…、私は皆さんの気持ちに答えられているか…。

迷いすぎて迷いすぎて、高校時代の国語の先生にメール(なぜ?)。「迷うんだったら行きなさい、行くべきです」という返事と、「気にかけてくださっている人たちは、たとえどんな姿であれ会って安心するのです」と。
ですよね、行きましょう。ずいぶん色々、物理的なこと含めて見苦しい姿ですが。連絡をくださった点訳ボランティアさんに、明日行きますと返信します。
「お昼は持って行きます」と言う私に、「お昼は私に買わせて」と来る返事。涙出る…、この人たちに育てられたんだよなぁと、こうして優しさと愛情感じてられることが原動力だったなぁと。
「もし、何かやることありましたら、どんな雑用でも喜んで引き受けます」と返信します。ここは以前、大学を卒業してからイギリスに行くまでの半年、私がバイトしていたところです。
これで十分、点訳ボランティアさんに通じてしまう、むしろ私が1年半ぶりにそこで仕事をさせていただくことで、「仕事にやりがいと誇りがあって、スキルを高めようと素直に必死だった自分」を何か思い出そうとしてること。

 翌日、懐かしい場所を尋ねます。恐る恐る部屋のドアをノック、「こんにちは、お久しぶりです」と入室。「あ、石田さん」「久しぶり、元気?」と4人くらいの人が出迎えてくださいます。
お仕事の邪魔にならないようにお昼休憩の時間にお邪魔したのですが、まだ午前の作業が終わって無くて、「ちょうどいいや、石田さんにこれお願いしようかな」と、私を引っ張り出してくださったボランティアさんの優しさで、早速私の前に置かれたお仕事。
作業に取り掛かります。懐かしい、この部屋とこの雰囲気とこの作業が懐かしい。私が担当してた業務の中ではもっとも単純な作業を任されただけなのですが、今はそれが嬉しくて単純作業に心がこもります。
大学を卒業しただけの1年半前と今とでは、同じこの職場を見ても見てるところが違うというか。色々考えます、なぜこの温かい雰囲気をこの忙しい中で保っていられるんだろうとか、上司の指示の出し方とか。
私がお邪魔した日なんて、まさに大事なものの発送の締切日でしたからね、私なんか相手にしてお昼一緒に食べてる場合じゃないはずなのに。

 お昼ご飯を食べた後、早速皆さんお仕事に戻って行くわけですが、ここでも私はもう少しだけ、作業を与えていただきました。今度は懐かしい、もう少し責任感を伴う作業。
1年半ぶりなので感覚がくるっていたりもするのですが、それでも見つけるべきものを見つけ、少しずつ以前に近いレベルで作業をこなしていきます。
 思わず作業をしながら思ってしまう、1年半前の半年間のバイト、私はここで本当に役に立っていたんだろうか、それとも皆さんの優しさで雇ってもらってただけなんだろうか…と。
ある意味、ただただ支持を待っていた、ただただ言われたことを説明通りにこなしてた。もちろん、私の自己判断なんかで絶対に進めてはいけない作業だったのですが、でも支持がないと動けない私は役に立っていたのか…と。
ただし同時に、そこでバイトをして3カ月を過ぎたころくらいから、一人で業務を任されることもありましたし…、とにかく私が仕上げたものも含め外部へと発送されて行きました。
どこまで役に立っていたんだろうか、あれで正しかったんだろうか、…そんなこと思いながら、今目の前にある業務は完全にボランティアですが、再び関われることが嬉しすぎて精一杯こなします。

 1年半前は、慣れていたのであたりまえにこなしていた作業も、久しぶりにやるとうっかり一つ手順を忘れたりもします。ものすごく細かいことなのですが。私がやり忘れた作業を、何も言わずに横からすっとサポートしてくださる点訳ボランティアさん。「あ、すみません、そうでしたよね」、次からは忘れない。
 同じミスは繰り返さない、学ばなきゃ、吸収しなきゃ、高めなきゃという気持ちが自然に沸いてくる。もっともっと勉強しなきゃ、この中で自分が1番知識がない、早く追いつかなきゃと素直に思う、納得しているその1本のルール、そこを早く覚えてみんなに付いて行きたい…、そう思ってた半年、そして今。

 そう、私もこういう仕事をしてたんですよね。こういう気持ちで仕事できるんですよ。間違いなく、ここで色々勉強させていただいて、この半年で本当に成長させていただいたんです。片道1時間半かかった朝の通勤ラッシュが、1日たりとも苦にならなかった半年。
 ちなみに、「私に買わせて」と点訳ボランティアさんが買ってきてくださったのは、私に合わせて少し小さ目のお弁当に、ひじきご飯や野菜がたっぷり。健康面や体を気遣ってくださっている、本当に育てられてる優しさ感じました。
今日が今年最終出勤日なので、部屋にある差し入れのお菓子などをそれぞれ全部持って帰らなければいけないわけですが。石田さん持って行きなさい、これももらって行きなさい、一つ余ったから石田さんが持って行きなさいと、おまんじゅうやらミカンやらいっぱいいっぱいわたされて。
 心の1番表面の第1段階が、少しとろけ始めたような気がします。フィリピンだ社会人だ障害者初だなどなど言われ、はたして何重に塗り固めているのでしょ?

posted by Yukari at 23:50| Comment(0) | 日記

少しずつ生活に慣れる

12月23日〜24日:

 帰国翌日の23日はけっこう寒い、私に言わせれば寒い。とにかく、宿泊先の友だちに先にヒートテックのインナー類を買ってもらっていたので、この日からヒートテックに、唯一持ってる7部袖のyシャツとスカートで外出、これどう見ても春服。
駅のコンビニで温かいお茶とホッカイロ購入。お茶が普通に買えるところ、温かい飲み物売ってるところが日本ですね。単独で買い物なんて3カ月ぶりだ。ところで?電車ってどうやって乗るんだっけか。Suicaで自動改札にタッチするのも何だかぎこちない、さて私一人で電車乗れるかな。
フィリピンでは治安が悪いのと色々環境が整っていない結果、基本的には単独で外出をしてません。ホームステイ先やオフィスがある住宅地は、警備員さんに守られてる高級住宅街なので、その中だけは単独で歩いていますが、一人で電車に乗ったことなど半年くらいないわけです。
9月に三日ほどだけ一時帰国していますが、式典参加と広島往復だけなので、ある意味知らないところばかり行ってたのでほぼ全て駅員さん案内で、単独で動いてないのです。
 まあこの日は色々、駅の状況など全て記憶にはあるのですが、何しろ一人で歩くということに慣れて無くて色々ぎこちないですし、日本円に慣れてないのでお金出すのに時間かかりますし、日本の携帯電話使うの久しぶりなのでメール書くの遅いですし、エスカレータそういえば左側に寄らなきゃいけないんだっけ…みたいな。

 午前中、美容院にてかわいそうなほどストレスと大気汚染と水(?)にいたんだ髪の毛の治療。私最近、シャワーすると面白いくらい髪の毛抜けるようになってましたし、手櫛でちょっととかしただけでも髪の毛何本も抜けるレベルでした。
余談ですが、私、日本にいる時なら見た目で唯一自慢できるのが髪質です。シャンプーの後は毎日トリートメントを入れてからコンディショナーを重ねる(そして5分以上置く)、洗い終わった後も流さないトリートメントをさらに入れてから乾かす。
本柘植の櫛とマイナスイオンが出るブラシ、ドライヤーの温風は髪の根本の水分を飛ばすためにしか使わず、表面は髪を傷めないように冷風で乾かす…、濡れたまま寝るなどは絶対しない、カラーリングなどの髪の毛いためる行為は理解ができない…、これらが徹底されてる状態を続けてます。
それらをやってでさえ、ここまで可哀そうな状況になった髪の毛は何なんでしょ?いつも指名する人なので互いに3年くらい面識がある美容師さんからも、日本にいる時はあれだけ髪きれいだったのにと言われながら。
日本滞在中なら、0の状態をプラスにしに行くのが美容院ですが、海外での生活が1年以上続いている今、マイナスになってしまってるのをあわてて0に戻しに行く治療場所が美容院であり、プラスの状態になれることがほぼないです。
 午後から冬服を買いに行き。と言っても、冬に帰ってくるのは今回の11日ほどだけであり、次は最終報告会のために3月2週目に帰ってきます。だから、本当に真冬専用の服を買ったらもったいないので、3月まで着られるもの重視で選びます。

 さて翌日、クリスマスイブ。え?予定ですか?ありますよ、顔に穴開けに行くって言ってるじゃないですか。ってか何打この電車の人の多さは、何打この新宿と渋谷の混み具合は。
まあ、12月24日に、肌荒れなどの専門治療のクリニックが、意外と患者さんでいっぱいだったこともこれまた不思議ですが。
えっと、私がやってるものは、いわゆる炭酸ガスが出るレーザーで、肌の荒れている部分一つ一つに穴をあけ(注射針を刺されてる感覚です)、その後何かしらの工具で、穴から各自膿を押し出してしまおうという、見てたら間違いなくグロテスクな治療であります。
こんなのイギリスに行くまではやる必要がなかった、皮膚科の塗り薬レベルで十分だったんですけどね。最近、ストレスが貯まると分かりやすいくらいにこうして現れます。
それにしても、顔ってもうちょっと繊細なものじゃなかったっけか?さっきから遠慮なく穴空けて、何かの工具っでぐって押し出してますけどちょっと…、顔ってそんな豪快に扱うものでしたっけ。
治療後に止血して、すぐに止まらない部分には絆創膏とか張られて、とにかく帰り道に顔を隠すためにマスクはもらえます。それもそのはず、顔傷だらけですから。クリスマスイブにゾンビはいらない。
ここから三日間ほどメイクはできません。いや、初日はお湯も若干しみるので、顔を洗うのも恐る恐るです。

 クリスマスイブの夜は、宿泊させてくれてるアパートの友だち(女の子)と二人で、チキンとケーキを楽しんでました。久しぶりに、いかにもって感じのクリスマスメニューです。
 それで夜まで色々しゃべってたら11時半。「大変だ早く寝なきゃ、サンタさん来る前に寝なきゃ」とあえて言う私。
「サンタさん、遅くまで起きてる子は無理ってもう帰っちゃったよ」と一つ年下の友だち。「なんで?だってまだ30分あるよ?ってか、サンタさんって24日の内に来るの?25日になってから来るの?」
これ、25歳と26歳の会話であります(笑)、しかしここからが現実的。サンタさんにお願いするプレゼント、最初に私たちの中から出たのは「半年分の給料」!まあこれには、そこまでにしていた話題が関連しているのですが。
あまりにも夢がないということで、それを撤回して私、「じゃあ分かった、提出さえすれば絶対に助成金がもらえる申請書持って来てほしい」…誰だ仕事をサンタさんに頼んでるのは。
 こんなかわいくないお願いをした二人のところには、サンタさんはやってきませんでした土佐。
posted by Yukari at 22:53| Comment(0) | 日記

生き抜く力だけは

12月22日〜24日:

 22日の朝早くにマニラの空港へ向かい、空港スタッフの案内で荷物検査や出国手続きを通るわけですが。
カウンターから飛行機まで手引きしてくれてたのは、きっと私と同い年くらいじゃないかと思うフィリピン人の助成スタッフでした…、かなりかわいいです(誰も聞いてない?)。
最初だけ、「では搭乗口前までご案内しますね」と英語で言ったのですが、歩き出してすぐタガログ語で、「あなたタガログ語分かる?」と聞いてきます。「ちょっとだけです」とタガログ語で答える私。
その後、何を思ったのか彼女から話しかけてくる時は全編タガログ語となりました。流れが分かっているので、荷物検査をして、空港使用料を支払って、出国手続きを済ませるまでに案内のその女性との間で必要な会話程度なら、タガログ語で話しかけられても理解できます。
相手は空港スタッフなので英語は絶対通じるはずなのですが、相手が全編タガログ語で来るのでなぜかつられてなるべくタガログ語で話そうとする私。荷物検査や出国手続きも終えた後、「お水買えますか?」とミネラルウォーターを買ってから乗りたいことを伝えます。

 さらに搭乗口前の椅子のところで、まだ搭乗できるまでには1時間ほどあるから待っててねと彼女。「あなたはここに戻ってきますか?」とタガログ語で聞く私。
もちろん、本当に言いたかったのは「搭乗の時にはまた迎えに来てくださるんですよね?」という意味ですが、そこまでのタガログ語力がないので、「あなたはまたここに来ますか?」みたいになってるのですが、言いたいことは十分通じます。
「はい、もちろん迎えに来ます。あなたの名前を教えてもらってもいいですか?」と言われ、「由香理です」と答えると。1時間後、「由香理、搭乗できるから、じゃあ行きましょう」と、ちゃんと迎えに来てくれました。私の名前ちゃんと憶えてましたし。
フムフム、カナダの空港よりフィリピンの空港のほうがよっぽどしっかりしてるじゃないか。ボストンへの乗り継ぎの時、行きのモントリオールも、帰りのトロントも、どっちもスタッフに再び迎えに来るのを忘れられたぞ。
 それにしても、ここまでのタガログ語やりとりの間、ほとんどは彼女からの質問に私がイエス・ノーなどで何となく反応しているパターンが多いのですが、自らちゃんと言えていることが、「幾らですか?(空港の使用税)」、「お水買えますか?」、「あなたはまた迎えに来てくれますか?」などなのです。
いかに私が、ここで生き抜くために言葉を覚えてきたかが現れてるでしょ?最低限、生き抜くために必要なことだけ伝えられる。

 さて日本到着、この時の服装は、長袖のtシャツ(前日の夜ホストマザーにもらいました)の上に7部袖のyシャツ、ここに着陸前に長袖の薄手カーディガンを羽織りました。下は、足首までの夏物のズボンと、一応靴下を履いているのですが、ズボンと靴下との間に2センチほど素足が見える感じです。
今回はちゃんと荷物が積み忘れられることもなく(笑)、私と一緒に飛行機に乗ってました。空港の中なので外の気温が分からないのですが、空港スタッフに「日本って寒いですか?」って聞いたら、コート着ないと外は寒いというので、万が一冬に帰国するためにと持って行っていたユニクロのウルトラライトダウン着用。
成田空港から駅が繋がってるので、電車を降りるまで外の気温はいまいち分からないままです。ただ、私が帰国した22日は比較的暖かかったようで、この明らかに足首が寒そうな格好でも、とにかく問題なく外にいられて。

 宿泊させてくれる友達の家の最寄駅。ここから家まで片道13分ほど歩きます。駅前の歩道、細い上に右側は自転車駐輪の列、歩道の真ん中にときどき柱。私、右手に白杖持ってるので、スーツケースを引っ張ってる左手は利き手じゃない。
まあでも、100メートルも行かないうちに、「どこまで行きますか?よかったら私、スーツケース持ちましょうか」と女性が声かけてくれて、家がものすごく近かったこともあって、宿泊先の前までスーツケース持って行ってくださいました。
えっと…、まあ正直に書くならば、最初から13分の距離を自分一人でスーツケース持って帰る確率なんてたぶん3パーセントくらいだろう、絶対途中で誰か見かねて声かけてくれるだろうって…、まあ期待して人待ちしてましたけどね(笑)、日本人優しいです。
アパートの外階段は、ちゃんと自力でスーツケース2階まで持って上がりました。ここまで一緒に来てくれた女性が、「大丈夫ですか?私やりますよ?力持ちですね」と心配そうに下から見てましたけど。
フィリピンで生きぬいてるNGO職員をなめんなよ(笑)、生き抜く力だけは途上国でそれなりに鍛えられてます。

posted by Yukari at 22:18| Comment(0) | 日記

家が壊れても他人の幸せを願う

12月21日:

 この日は私の今年最後の出勤日でした。区切りのいいようにと、色々報告書を仕上げたりなどしてた時のこと、携帯に届いた1通のテキスト。3年前に折り紙セッションに参加していたアーリンからです。
全編タガログ語で書かれていたのですが、「どうしてる?私のほうは、うちの家が壊れたの」と書いてあること、私にでも意味が理解できました。
「なんで?何が起きたの?台風のせい?」っと、片言になってしまいますがタガログ語であわてて返信します。
先週は、台風25号(フィリピン名ノナ)が上陸してましたからね。でも台風が上陸したのはレイテ島サマーると、そしてフィリピンの北部、マニラよりまだ南に住んでいるアーリンの地方には、直接上陸はしていないはずなのですが…。
「うん、大型台風のせい。ここ数日電気も来てない」というような内容の返事が返ってきました。

 先月、レイテ島の被災地を訪問している私としては、何となく色々想像がつきます。台風で本当に生命の危険にさらされ、上陸から三日くらい立ってから届いているこのテキストメッセージ。ようやく、ある意味落ち着いたということですね。家の中の水や泥がようやく引いたというか。
電気がないということは、携帯も充電できる状態ではなくて、この充電が切れたらしばらく世の中と連絡が取れなくなってしまう、その貴重な充電で、なぜ私にテキストしてくるんだアーリン。
テキストをするには、1回数円のお金もかかってます。私から電話しようかとも思ったのですが、充電の残り残量が限られている今、下手にむこうの充電を使わせるようなことはしないほうがいいでしょう。
「家族は?みんな無事?お水や食べ物は持ってる?」と、これくらいなら私もタガログ語で返信できます。ここで、食べ物がないと言われても、私の住んでるところからは片道5時間以上、正確な住所も知らなくて正直どうにもできないんですけれど。
「食べ物やお水は大丈夫だよありがとう。でも家の一部が壊れて、部屋もキッチンも、物は全部完全に濡れちゃった」のようなことが書いてありました。本当はメッセージはもう少し長いのですが、タガログ語で私が読み取れた単語を繋げるとこんな感じでした。

何しろ、私のタガログ語が怪しいので、本当に必要最低限の会話しかできません。だから家が壊れたというのも、全壊しているのか、屋根や窓ガラスがなくなって雨が降りこんでいる状態なのか…、その辺りも分からないままです。
唯一分かるのは、彼女たち家族がとにかく生き残ったことと、しばらくしのげるお水と食べ物は持っていること。
 3年前、ジョイハウスという女子寮に住みながら、マッサージの訓練を受けていた…、保護の対象者に選ばれたということは、アーリンもかなり危機的な状況にある視覚障害者の一人です。
8月には、唯一の頼りだった母親が亡くなって、親戚と一緒に暮らすようになってから台風で家が壊れる…。どうして彼女のところに、こうつらい出来事ばかり降りかかるのか。
 もう少し待っててほしい、あと数年、私に時間をください、フィリピンの視覚障害者の生活状況を変えるようなプロジェクト立ち上げるから、災害時に障害者に援助が行き届くシステム、今考えてるから。

 とにかく、これ以上アーリンに充電を使わせないほうがいいだろうと思って、テキストは返信せずにいました。
夜になって、再びアーリンから届いたテキストメッセージ。「明日、安全に日本に戻れることを祈ってるよ。冬休み楽しんでね、幸せなクリスマスになりますように」
…涙出るかと思った、人の幸せ祈ってる場合じゃないでしょあなたは。台風で家が壊れて、毛布などで雨風しのいでる人がいる一方で、勤務終了、よし冬休みだと海外に逃亡する人がいる…、今テキストしてる私は明日から日本に行く、それ知ってる彼女の気持ちって…。
「ありがとう。1月2日にはフィリピンに戻ってくるから、また電話するね。どうか無事でいて、安全な場所で、あなたと家族のみんなが幸せなクリスマスと新年を迎えられますように。何もできなくてごめんなさい。1月2日に連絡するから」
 たぶんもう充電がなくなっていたのか、このテキストへの返信を見ないまま、私は翌日飛行機に乗りました。
 日本はもちろん、普段以上に快適な生活が待っていますが、こうして何もできないまま置いてきた友達のこと、頭から離れちゃいけないと思ってます。
 3年前に、小学校しか通えなかった彼女が祈ってくれた、私の大学院合格と学業の成功。そして今、台風で壊れた家から祈ってくれてる私の安全な帰国と幸せな冬休み。…私に何ができるのでしょ?何をすべきなのでしょ?
posted by Yukari at 18:48| Comment(0) | 日記