2015年12月26日

少しずつ生活に慣れる

12月23日〜24日:

 帰国翌日の23日はけっこう寒い、私に言わせれば寒い。とにかく、宿泊先の友だちに先にヒートテックのインナー類を買ってもらっていたので、この日からヒートテックに、唯一持ってる7部袖のyシャツとスカートで外出、これどう見ても春服。
駅のコンビニで温かいお茶とホッカイロ購入。お茶が普通に買えるところ、温かい飲み物売ってるところが日本ですね。単独で買い物なんて3カ月ぶりだ。ところで?電車ってどうやって乗るんだっけか。Suicaで自動改札にタッチするのも何だかぎこちない、さて私一人で電車乗れるかな。
フィリピンでは治安が悪いのと色々環境が整っていない結果、基本的には単独で外出をしてません。ホームステイ先やオフィスがある住宅地は、警備員さんに守られてる高級住宅街なので、その中だけは単独で歩いていますが、一人で電車に乗ったことなど半年くらいないわけです。
9月に三日ほどだけ一時帰国していますが、式典参加と広島往復だけなので、ある意味知らないところばかり行ってたのでほぼ全て駅員さん案内で、単独で動いてないのです。
 まあこの日は色々、駅の状況など全て記憶にはあるのですが、何しろ一人で歩くということに慣れて無くて色々ぎこちないですし、日本円に慣れてないのでお金出すのに時間かかりますし、日本の携帯電話使うの久しぶりなのでメール書くの遅いですし、エスカレータそういえば左側に寄らなきゃいけないんだっけ…みたいな。

 午前中、美容院にてかわいそうなほどストレスと大気汚染と水(?)にいたんだ髪の毛の治療。私最近、シャワーすると面白いくらい髪の毛抜けるようになってましたし、手櫛でちょっととかしただけでも髪の毛何本も抜けるレベルでした。
余談ですが、私、日本にいる時なら見た目で唯一自慢できるのが髪質です。シャンプーの後は毎日トリートメントを入れてからコンディショナーを重ねる(そして5分以上置く)、洗い終わった後も流さないトリートメントをさらに入れてから乾かす。
本柘植の櫛とマイナスイオンが出るブラシ、ドライヤーの温風は髪の根本の水分を飛ばすためにしか使わず、表面は髪を傷めないように冷風で乾かす…、濡れたまま寝るなどは絶対しない、カラーリングなどの髪の毛いためる行為は理解ができない…、これらが徹底されてる状態を続けてます。
それらをやってでさえ、ここまで可哀そうな状況になった髪の毛は何なんでしょ?いつも指名する人なので互いに3年くらい面識がある美容師さんからも、日本にいる時はあれだけ髪きれいだったのにと言われながら。
日本滞在中なら、0の状態をプラスにしに行くのが美容院ですが、海外での生活が1年以上続いている今、マイナスになってしまってるのをあわてて0に戻しに行く治療場所が美容院であり、プラスの状態になれることがほぼないです。
 午後から冬服を買いに行き。と言っても、冬に帰ってくるのは今回の11日ほどだけであり、次は最終報告会のために3月2週目に帰ってきます。だから、本当に真冬専用の服を買ったらもったいないので、3月まで着られるもの重視で選びます。

 さて翌日、クリスマスイブ。え?予定ですか?ありますよ、顔に穴開けに行くって言ってるじゃないですか。ってか何打この電車の人の多さは、何打この新宿と渋谷の混み具合は。
まあ、12月24日に、肌荒れなどの専門治療のクリニックが、意外と患者さんでいっぱいだったこともこれまた不思議ですが。
えっと、私がやってるものは、いわゆる炭酸ガスが出るレーザーで、肌の荒れている部分一つ一つに穴をあけ(注射針を刺されてる感覚です)、その後何かしらの工具で、穴から各自膿を押し出してしまおうという、見てたら間違いなくグロテスクな治療であります。
こんなのイギリスに行くまではやる必要がなかった、皮膚科の塗り薬レベルで十分だったんですけどね。最近、ストレスが貯まると分かりやすいくらいにこうして現れます。
それにしても、顔ってもうちょっと繊細なものじゃなかったっけか?さっきから遠慮なく穴空けて、何かの工具っでぐって押し出してますけどちょっと…、顔ってそんな豪快に扱うものでしたっけ。
治療後に止血して、すぐに止まらない部分には絆創膏とか張られて、とにかく帰り道に顔を隠すためにマスクはもらえます。それもそのはず、顔傷だらけですから。クリスマスイブにゾンビはいらない。
ここから三日間ほどメイクはできません。いや、初日はお湯も若干しみるので、顔を洗うのも恐る恐るです。

 クリスマスイブの夜は、宿泊させてくれてるアパートの友だち(女の子)と二人で、チキンとケーキを楽しんでました。久しぶりに、いかにもって感じのクリスマスメニューです。
 それで夜まで色々しゃべってたら11時半。「大変だ早く寝なきゃ、サンタさん来る前に寝なきゃ」とあえて言う私。
「サンタさん、遅くまで起きてる子は無理ってもう帰っちゃったよ」と一つ年下の友だち。「なんで?だってまだ30分あるよ?ってか、サンタさんって24日の内に来るの?25日になってから来るの?」
これ、25歳と26歳の会話であります(笑)、しかしここからが現実的。サンタさんにお願いするプレゼント、最初に私たちの中から出たのは「半年分の給料」!まあこれには、そこまでにしていた話題が関連しているのですが。
あまりにも夢がないということで、それを撤回して私、「じゃあ分かった、提出さえすれば絶対に助成金がもらえる申請書持って来てほしい」…誰だ仕事をサンタさんに頼んでるのは。
 こんなかわいくないお願いをした二人のところには、サンタさんはやってきませんでした土佐。
posted by Yukari at 22:53| Comment(0) | 日記

生き抜く力だけは

12月22日〜24日:

 22日の朝早くにマニラの空港へ向かい、空港スタッフの案内で荷物検査や出国手続きを通るわけですが。
カウンターから飛行機まで手引きしてくれてたのは、きっと私と同い年くらいじゃないかと思うフィリピン人の助成スタッフでした…、かなりかわいいです(誰も聞いてない?)。
最初だけ、「では搭乗口前までご案内しますね」と英語で言ったのですが、歩き出してすぐタガログ語で、「あなたタガログ語分かる?」と聞いてきます。「ちょっとだけです」とタガログ語で答える私。
その後、何を思ったのか彼女から話しかけてくる時は全編タガログ語となりました。流れが分かっているので、荷物検査をして、空港使用料を支払って、出国手続きを済ませるまでに案内のその女性との間で必要な会話程度なら、タガログ語で話しかけられても理解できます。
相手は空港スタッフなので英語は絶対通じるはずなのですが、相手が全編タガログ語で来るのでなぜかつられてなるべくタガログ語で話そうとする私。荷物検査や出国手続きも終えた後、「お水買えますか?」とミネラルウォーターを買ってから乗りたいことを伝えます。

 さらに搭乗口前の椅子のところで、まだ搭乗できるまでには1時間ほどあるから待っててねと彼女。「あなたはここに戻ってきますか?」とタガログ語で聞く私。
もちろん、本当に言いたかったのは「搭乗の時にはまた迎えに来てくださるんですよね?」という意味ですが、そこまでのタガログ語力がないので、「あなたはまたここに来ますか?」みたいになってるのですが、言いたいことは十分通じます。
「はい、もちろん迎えに来ます。あなたの名前を教えてもらってもいいですか?」と言われ、「由香理です」と答えると。1時間後、「由香理、搭乗できるから、じゃあ行きましょう」と、ちゃんと迎えに来てくれました。私の名前ちゃんと憶えてましたし。
フムフム、カナダの空港よりフィリピンの空港のほうがよっぽどしっかりしてるじゃないか。ボストンへの乗り継ぎの時、行きのモントリオールも、帰りのトロントも、どっちもスタッフに再び迎えに来るのを忘れられたぞ。
 それにしても、ここまでのタガログ語やりとりの間、ほとんどは彼女からの質問に私がイエス・ノーなどで何となく反応しているパターンが多いのですが、自らちゃんと言えていることが、「幾らですか?(空港の使用税)」、「お水買えますか?」、「あなたはまた迎えに来てくれますか?」などなのです。
いかに私が、ここで生き抜くために言葉を覚えてきたかが現れてるでしょ?最低限、生き抜くために必要なことだけ伝えられる。

 さて日本到着、この時の服装は、長袖のtシャツ(前日の夜ホストマザーにもらいました)の上に7部袖のyシャツ、ここに着陸前に長袖の薄手カーディガンを羽織りました。下は、足首までの夏物のズボンと、一応靴下を履いているのですが、ズボンと靴下との間に2センチほど素足が見える感じです。
今回はちゃんと荷物が積み忘れられることもなく(笑)、私と一緒に飛行機に乗ってました。空港の中なので外の気温が分からないのですが、空港スタッフに「日本って寒いですか?」って聞いたら、コート着ないと外は寒いというので、万が一冬に帰国するためにと持って行っていたユニクロのウルトラライトダウン着用。
成田空港から駅が繋がってるので、電車を降りるまで外の気温はいまいち分からないままです。ただ、私が帰国した22日は比較的暖かかったようで、この明らかに足首が寒そうな格好でも、とにかく問題なく外にいられて。

 宿泊させてくれる友達の家の最寄駅。ここから家まで片道13分ほど歩きます。駅前の歩道、細い上に右側は自転車駐輪の列、歩道の真ん中にときどき柱。私、右手に白杖持ってるので、スーツケースを引っ張ってる左手は利き手じゃない。
まあでも、100メートルも行かないうちに、「どこまで行きますか?よかったら私、スーツケース持ちましょうか」と女性が声かけてくれて、家がものすごく近かったこともあって、宿泊先の前までスーツケース持って行ってくださいました。
えっと…、まあ正直に書くならば、最初から13分の距離を自分一人でスーツケース持って帰る確率なんてたぶん3パーセントくらいだろう、絶対途中で誰か見かねて声かけてくれるだろうって…、まあ期待して人待ちしてましたけどね(笑)、日本人優しいです。
アパートの外階段は、ちゃんと自力でスーツケース2階まで持って上がりました。ここまで一緒に来てくれた女性が、「大丈夫ですか?私やりますよ?力持ちですね」と心配そうに下から見てましたけど。
フィリピンで生きぬいてるNGO職員をなめんなよ(笑)、生き抜く力だけは途上国でそれなりに鍛えられてます。

posted by Yukari at 22:18| Comment(0) | 日記

家が壊れても他人の幸せを願う

12月21日:

 この日は私の今年最後の出勤日でした。区切りのいいようにと、色々報告書を仕上げたりなどしてた時のこと、携帯に届いた1通のテキスト。3年前に折り紙セッションに参加していたアーリンからです。
全編タガログ語で書かれていたのですが、「どうしてる?私のほうは、うちの家が壊れたの」と書いてあること、私にでも意味が理解できました。
「なんで?何が起きたの?台風のせい?」っと、片言になってしまいますがタガログ語であわてて返信します。
先週は、台風25号(フィリピン名ノナ)が上陸してましたからね。でも台風が上陸したのはレイテ島サマーると、そしてフィリピンの北部、マニラよりまだ南に住んでいるアーリンの地方には、直接上陸はしていないはずなのですが…。
「うん、大型台風のせい。ここ数日電気も来てない」というような内容の返事が返ってきました。

 先月、レイテ島の被災地を訪問している私としては、何となく色々想像がつきます。台風で本当に生命の危険にさらされ、上陸から三日くらい立ってから届いているこのテキストメッセージ。ようやく、ある意味落ち着いたということですね。家の中の水や泥がようやく引いたというか。
電気がないということは、携帯も充電できる状態ではなくて、この充電が切れたらしばらく世の中と連絡が取れなくなってしまう、その貴重な充電で、なぜ私にテキストしてくるんだアーリン。
テキストをするには、1回数円のお金もかかってます。私から電話しようかとも思ったのですが、充電の残り残量が限られている今、下手にむこうの充電を使わせるようなことはしないほうがいいでしょう。
「家族は?みんな無事?お水や食べ物は持ってる?」と、これくらいなら私もタガログ語で返信できます。ここで、食べ物がないと言われても、私の住んでるところからは片道5時間以上、正確な住所も知らなくて正直どうにもできないんですけれど。
「食べ物やお水は大丈夫だよありがとう。でも家の一部が壊れて、部屋もキッチンも、物は全部完全に濡れちゃった」のようなことが書いてありました。本当はメッセージはもう少し長いのですが、タガログ語で私が読み取れた単語を繋げるとこんな感じでした。

何しろ、私のタガログ語が怪しいので、本当に必要最低限の会話しかできません。だから家が壊れたというのも、全壊しているのか、屋根や窓ガラスがなくなって雨が降りこんでいる状態なのか…、その辺りも分からないままです。
唯一分かるのは、彼女たち家族がとにかく生き残ったことと、しばらくしのげるお水と食べ物は持っていること。
 3年前、ジョイハウスという女子寮に住みながら、マッサージの訓練を受けていた…、保護の対象者に選ばれたということは、アーリンもかなり危機的な状況にある視覚障害者の一人です。
8月には、唯一の頼りだった母親が亡くなって、親戚と一緒に暮らすようになってから台風で家が壊れる…。どうして彼女のところに、こうつらい出来事ばかり降りかかるのか。
 もう少し待っててほしい、あと数年、私に時間をください、フィリピンの視覚障害者の生活状況を変えるようなプロジェクト立ち上げるから、災害時に障害者に援助が行き届くシステム、今考えてるから。

 とにかく、これ以上アーリンに充電を使わせないほうがいいだろうと思って、テキストは返信せずにいました。
夜になって、再びアーリンから届いたテキストメッセージ。「明日、安全に日本に戻れることを祈ってるよ。冬休み楽しんでね、幸せなクリスマスになりますように」
…涙出るかと思った、人の幸せ祈ってる場合じゃないでしょあなたは。台風で家が壊れて、毛布などで雨風しのいでる人がいる一方で、勤務終了、よし冬休みだと海外に逃亡する人がいる…、今テキストしてる私は明日から日本に行く、それ知ってる彼女の気持ちって…。
「ありがとう。1月2日にはフィリピンに戻ってくるから、また電話するね。どうか無事でいて、安全な場所で、あなたと家族のみんなが幸せなクリスマスと新年を迎えられますように。何もできなくてごめんなさい。1月2日に連絡するから」
 たぶんもう充電がなくなっていたのか、このテキストへの返信を見ないまま、私は翌日飛行機に乗りました。
 日本はもちろん、普段以上に快適な生活が待っていますが、こうして何もできないまま置いてきた友達のこと、頭から離れちゃいけないと思ってます。
 3年前に、小学校しか通えなかった彼女が祈ってくれた、私の大学院合格と学業の成功。そして今、台風で壊れた家から祈ってくれてる私の安全な帰国と幸せな冬休み。…私に何ができるのでしょ?何をすべきなのでしょ?
posted by Yukari at 18:48| Comment(0) | 日記