2015年11月20日

そのままでも愛されてるって伝えること

11月19日:

 私はフィリピンにいながらも、かならず2日に1度くらいは日本の新聞をざっとチェックするんですけれど。思わず気になってしまった記事がありますね。
私は、発言に関してはそこまで問題だと思わないんですけれど。ご本人は発言を撤回なさっていますが、出生前診断でもっと早めに障害者を発見して、うちの県では障害者の数を減らしていけたら…と言ってしまったかたが。しかもそれを、特別支援学校を視察した後に言っちゃった……。
世間はその発言を批判したようですが、まあ私にとっては、これに関しては、そう思ってる人がいるのは仕方がないなと思います。障害者邪魔だな、いなくなればいいのにな、少ない方が世の中健全だよねと思ってる人は一定数いるでしょうから、一部の人の意見を代弁したという意味では、そこまで批判対象にはならないような気もします。

 どちらかと言えば、発言を撤回するための発言のほうがまずかったですね。けっして障害者への差別のつもりはなかった、ただご家族の負担が少しでも減ったらという意味だった…と。
…うーん、頭痛いなぁ。そっちの発言のほうがよっぽど問題ありなんですけれど…、それ、自分の家族に障害者いたら、負担だとしか思ってないってことですからね。

どうかこの方のところに、私たちのジュニア新書届きますように。今1番、あの本を読んでいただきたい方かも知れません。
なかなか、私たちが本で述べている「共に生きる社会」への挑戦状かなぁって思いました。私が、自分のパートの最後のほうに書いたこと。
自分が、そのままでも愛されてるっていう自信がない人が、障害者批判して、あの人たちに比べたら自分のほうが上田って言いたくなる。
そしてそういう批判や存在否定を、「差別だ」「権利だ」「法律だ」などと言って戦ってても、たぶん本質的なことは解決しない。
なぜなら、批判の根源は、相手に「そのままでも愛されてる」っていう自信がないことだから…。
 だから皆さん、批判しちゃだめです彼女の発言。攻めちゃだめですその撤回含めて。それ共生社会に向かわない、共生社会に向かわせる本当の方向性は、「感じたことを飾らずにそのまま世の中に伝えてくれた、風通しのいいあなたが好きです」

 色々なすれ違いや批判、けっきょく根源から解決する方法って、行動はいただけないにしても、その人の存在そのものは大好きですよって伝えて行くこと、きっと最後はこれに尽きる気がするって最近とくに思います。
行動を否定するのと、人間性(人格)を否定するのは違います。私たちが否定していいのは、行動だけ。私たちはよくそれを混同して、あるいはてっとり早く相手を傷つけるために、人間性を否定しにかかるんですけれど…、それは共に生きる社会のルール違反ですね。
誰もが、ここにいていいんだ、必要とされてるんだ、生きてていいんだって思える社会になれば、障害者を批判したりしない。それを改めて考えさせられる、典型例みたいなニュースだなぁと思いながら新聞を見ました。
とにかく、本よ届(笑)!


posted by Yukari at 01:20| Comment(0) | 日記