2015年11月27日

存在に気づいてほしい

11月23日から27日:
 平日5日間、レイテ島で2年前の大型台風の被害を受けた障害者たちにインタビューをしました。ポリオや知的障害など他の障害者3人を含む15人と、そして子どもだったので本人から直接意見などは聞けていませんが、視覚障害の小学生6人です。
 みんなの話しをまとめると、台風の時の流れが分かってきました。これまでに例のないような超大型台風が来るというニュースは、前日にはちゃんと入っていたようですが、そもそもレイテってしょっちゅう台風来るので、どうせいつものようなものだろうと、そこまで家が飛ばされるほどの台風だとはほとんどの人が予想してなかったんですね。
しかも、そのニュースが入ったころ、午後までは普通に晴れてたらしくて。午後5時ごろから雨は強かったもののたいしたことがなくて、でも午後8時には家が揺れ動くほどの雨風だった、だからもうその時点で外出できなくなり避難できなくなった人がかなりいます。
夜に、このままじゃ家が壊れると思って、シェルターに避難するためドアを開けた瞬間、水が押し寄せてきて1階が浸水したと言う人や、海からは遠い町の中心部でも、窓ガラスを破って水が入ってきて2階まで浸水したという家もあります。東日本大震災を思わせる体験談の数々でした。
 インタビューの内容はお仕事なのでここに書けませんが、インタビュー前後のやりとりや、各家庭を訪問して感じたことなどを書こうと思います。

 最初に訪問した弱視男性の家。ドミトリーと言うか集合住宅と言うか、コンクリートのトンネルみたいな廊下沿いに、家が立ち並ぶところの2階に住んでました。でもけっして衛生的な場所には見えなくて、洞穴みたいな廊下もあちこち雨漏り(というか雨がそのまま入ってくる)していて、建物の中なのに廊下に3か所くらい滝があるんですね。
フィリピンって暑いので、建物の中が湿ってるってことは、虫やゴキブリなど色々発生するってことなんです。視覚障害者が住んでるとは思えない段差の高さがまちまちな急な階段、壁には蜘蛛の巣、そこを2階に上ったら彼の家でした。
でもそんなところでも、この後1週間訪問した中で、彼がたぶん1番いい家に住んでました。被害も他の人に比べれば軽いですし、とにかく毎日最低1食以上食べられる生活をしているというか。

 1番言葉が出なくなったのは、いわゆる仮設住宅に住んでいる視覚障害夫婦を訪問した時でした。アスファルトの舗装などされていない、雨が降ると田んぼのようにドロドロになってしまう道の両側に、…、正直人間が住むところだとは思えない木の家が並んでます。
ドアなんて付いてなくて、床と屋根と壁だけがとりあえずある6畳くらいの木の箱、そこにほぼ全盲の夫婦と子どもとおばあちゃん。家具ももちろんなくて、ドアがないので泥だらけの木の床に直接座ったり寝たりするという。
これが災害の後1カ月以内ならまだ分かるんです、彼らはこの生活2年してるわけですからね。収入は1週間に600円。いくらフィリピンでも、たとえばマクドナルドなど安くご飯を済ませたとしても、600円だと2.5食分くらいにしかなりません。
600円って、だいたい一人当たりが1日に必要な食費です。そのお金で4人が1週間生きている…、もう想像がつかないです、2年間まだ生き延びてることだけでも奇跡です。たぶん2日に1回お米お茶碗1杯などしか食べられないでしょう、お水は何を飲んでいるのやら。
しかも全盲夫婦ですよ、こんなところで自由に出歩けるわけもなく、避難所生活でも食べ物を取りに行けるのはまだ小学生の子どもだけで、フィリピンの配給って平等じゃなくて早い者勝ちなので、何度も何度も配給品取り逃してるんですね。

 今週だけで何人もの人の涙を見ました。台風の話しになると泣き出してしまって話せなくなる人がかなりいますし、今でも雨が降ると寝られないという人がほとんどです。
障害者向けのサポートや情報など何一つなくて、生存競争に負けて、避難所でも差別があって、…自由に外出できない自分たち家族を訪ねてきたり気遣ってくれた人なんて誰もいなくて。
来てくれてありがとう、私たちの存在に気づいてくれて、私たちを訪ねてくれてありがとうってお母さんに泣かれてしまったこともあったり。
 正直この調査はつらいです、機械的にただ情報を得ることなんてできなくて、私は一人ひとり真剣に向き合わなきゃいけない。あまりに話しが重くて、それまっすぐ受け止めると、私もいっしょに泣いてたこともあります。
第2の被害者出さないために、将来の障害者たち守るために、政府やNGOにどんなリクエストをすればいいだろう、どんなアドバイスをすればいいだろう、社会をどう変えればいいんだろうって、みんなと涙ながらに真剣に考える。
各インタビューが終わるころには心の中いっぱいいっぱいになって、移動の車の中でなるべくリフレッシュして空っぽにして、また次の体験受け止めに行く。沢山の人達と本当に心から触れ合った気がします。
posted by Yukari at 20:26| Comment(0) | 日記

2015年11月25日

災害時にもっとも不利になる障害者

11月23日〜25日:

 2年前の11月8日に、大型台風であるヨランダ(日本名台風30号)が直撃した、レイテ島のタクロバンに来ています。今は大きな道路などはきれいに整備されていて、ぱっと見被災地の面影はあまり残ってないかのように見えます。
 日曜日にタクロバンのオフィスに到着し、月曜日から金曜日にかけて、視覚障害者の家を家庭訪問して災害時の体験を聞いたり、あとはタクロバン小学校と高校の特別支援学級を訪問し、小学校は担当の先生から、高校は視覚障害児数人と担当教員から話しを聞きます。

 さて、障害者にインタビューをすることになっていますが、どうやって障害者を探すのか、レイテにおいてはこれが1番問題なんです。フィリピンには、一応市役所の福祉課に、障害者の住所ロックのようなリストがあります。まあここのリストに含まれてる、把握されてる障害者なんて実際の半分以下でしょうけれど、とにかくないよりはましですよね。
ところがレイテの場合、台風で海面が上昇し、水が押し寄せて沢山の家が流された時、その障害者の住所録が流されてしまっているんです。だから政府もNGOも、台風が起きた後、障害者を探せなかったんですよ。
台風から2年たった今、リストを復活させようとしているようですが、現在リストに載っている障害者の数は、台風が起きる前の4割以下だと言われています。仕事を得るためにレイテから引っ越した障害者もいるでしょうし、命を落とした人もいるでしょうし…、だから、たんに見つかっていないのかもうレイテにいないのか、それさえ誰にも分からないんです。

 それを過去の研究データなどから知っていたので、私は最初から、障害者を探すために政府にコンタクトすることはしませんでした。フィリピンの視覚障害者同市のネットワークはとても強いです、当事者を探したければ当事者を辿るのが1番です。この国で生き抜くために、彼らの繋がりは強いんです。
 だから私がまずコンタクトしたのは、フィリピン盲人連合のマニラ支部の代表者でした。その人に、レイテの視覚障害者団体知りませんか、あるいはレイテの視覚障害者でお知り合いはいらっしゃいませんかって聞いたんですね。
そうしたら、レイテで生まれ育った全盲男性で、現在はマニラ(私の家の比較的近く)に住んでる人がいると言って、私たちを引き合わせるミーティングを設けてくれたんです。そのレイテ出身の人は英語がほとんど通じないので、マニラ支部の代表者がミーティングの時はかならず来てくれて、私たちの間で通訳してくれてました。

 タクロバンだけでも成人視覚障害者を30人知ってる、タクロバン周辺にさらに20人知ってる、誰でも紹介するし、視覚障害者関連のNGOにも行けるようにアレンジしてあげるし、特別支援学級にも訪問できるようにしてあげる…と、最初はものすごく協力的だったんです。
 ただそれと同時に、「彼らはもうインタビューに疲れてる、思い出したくない経験を図々しく聞かれて、写真撮られて、かならず支援するからねなどの約束をされて、けっきょく何のサポートもこない…、そうやって裏切られることにもう嫌気がさしてる」という忠告も受けました。
だから正直なところ、興味半分に調査をしてほしくない、彼らに何も利益がないのなら、現地でプロジェクトを立ち上げるわけでも、何か支援物資を配布できるわけでもないのなら、もうこれ以上余計な調査をしないでほしい、彼らを見世物にしないでほしい、と。
彼の言うことは、もっともだなと思いました。ICANはレイテで障害者向けのプロジェクトを立ち上げるわけでもなくて、何か支援物資を配るわけでもなくて。
ただできるのは、彼らの体験やアドバイスを基に、「災害が起きた時、障害者に対してNGOや政府はこういう活動をすべきです」という提言書を書くことだけで、それって直接的にはレイテの障害者に何の利益もないんですよ。
でも私、仕事だから、この業務を達成するように言われてるから、新たな調査を彼らに課すために行かなきゃいけない…、聞かなきゃいけない。自分はどうふるまえばいいのか、どうすれば彼らを再び裏切るようなことにならないか、どうすれば「参加してよかった」って思ってもらえるか…、悩みました。
posted by Yukari at 17:55| Comment(0) | 日記

2015年11月23日

色々起きすぎた週末そして現在レイテ島

11月20日から23日:

 えっと?先週末、11月21日が私の誕生日だったって知ってる人?ホストファミリーにもどうやら忘れられましたよぉ(笑)、1週間前には覚えてたんですけど彼ら…、この年になって催促するのもどうかと思って、忘れられたまま過ぎていきましたとさ。
 さて、先週はあまりにもいろんなことが起きました、仕事関連で。なかなか色々、イギリスでの最初4カ月に負けないくらい、あるいは今年の9月に負けないくらい、いろんな意味で苦しい1週間となりました、誕生日の日も私ご飯も食べずに夕方までふさぎ込んでましたからねたんに。
家庭教師先の元生徒から誕生日にメールもらって、ブログを見てると最近は元気そうですね…みたいなことが書いてあったのですが、えっとね?色々とここに書けない内容がどんどん増えてくのが社会人ですよ、うんうん。

 というわけで、11月はなかなかつらすぎる月でありました。まあ色々を経た結果、今までほぼ関わりが無くて直接しゃべったこともほとんどなかった同僚から呼び出されて、今日から僕が上司です…と。
何となくそういう日が来るかもしれないことは予測の範囲内ではあったのですが、やはりそうなるか。できれば事後発表じゃなくて、事前にせめて私に何か相談なり意見なり聞いてほしかったですが…、先週末で上司が変わりました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、前の上司とは入社当初姉妹のように仲良かった記憶もあるので、職場の先輩いに、失恋ってからかわれてます。
こうして、10月放送のテレビ番組は、やはり私にとって黒歴史となったのでした。11年前のテレビ番組も黒歴史以外の何物でもないのですが…、やっぱメディアはあまり、私と仲良く無いのかも知れないです。

 9月までインターンとして働いてた私と同い年の1番仲良かった女の子、2カ月間の語学学校を経て、私の誕生日のためにマニラに1日帰ってきてくれてました。翌日には完全に日本へ帰国してしまう彼女なんですけれど。
同僚など含めて6人で夕食。途中で、その親友と職場の先輩が、一瞬席を外したんです。あれ?お手洗いかな?でも二人で行くか?…と、ちょっと思ったけれどあまり気にせずに他の3人としゃべってました。
 有色は完全にフィリピンのバースデーメニューにしてくれて、フィリピンって長い気しますようにっていう意味で、麺類(焼きビーフンみたいなの)を食べるんですけれど、その麺類であるパンシットと、チキンの丸焼き、その他野菜などがテーブルの真ん中に並んでかなり豪華です。
今日のメインは、明日日本に帰ってしまう彼女なのか、バースデーガールの私なのか、どっちとも言えるところなんですけれど、ここ2週間ほどあまりにつらすぎる状況が連続してるのを周囲の同僚たち知ってるので、たぶんあのメニューで励ましてくれてました。
 バギオという地方の語学学校から帰ってきた彼女が、みんなにお土産を買ってきてて、バギオ名物のイチゴジャムや手作りの財布と、そして私にはドリームキャッチャーもくれたんです。
皆さんドリームキャッチャー知ってますか?インディアンのおまもりですが、ラケットみたいな網に鳥の羽が付いたもの(直径5センチほど)で、その網が悪い夢をキャッチして取り去ってくれると言われています。
「何これ、私を悪夢から救おうってか?」と私が言うと、目の前で先輩爆笑…、いやーブラックなジョークですねぇ、ぜんぜん笑えない。

 食事を終えて、デザートを選ぼうかなと私たちがメニューを見始めたころ。お店の天井のスピーカーから突然、ハッピーバースデーの音楽鳴り始めて。何課、店員さんたちが4.5人、誕生日のスペシャルデザートのプレート持って、歌いながらこっち来る…、何これ?私?何したの?いつ?誰?
きっと最初に、先輩と親友が5分くらい席を外したの、あれは誕生日のサプライズサービスをお店側に頼みに行ってたんですね。やめろ、お店中みんな見てるじゃないか、ちっちゃいかわいい子なら絵になりますが、この年じゃ恥ずかしいぞ…。
 まあ、そうやって楽しい数時間もありました。

 翌日日曜日からは現実、普通に仕事です。2年前に大型台風(日本名で言う台風30号)が直撃したレイテ島のタクロバンに来ています。なぜか、仲良くなってこいと新しい上司といっしょに……。
いやー、レイテのスタッフって男性ばかり3人で、そこに私の上司も男性で…、いわゆる食事は3食全部出来合いの物で済ませてしまう、いかにも男の子たちの共同生活…みたいな場所に、一人入ってるのはかなり気まずいです。
たぶん互いにものすごく気を使ってますね、オフィスともう一部屋しかないので、男性陣がむこうの部屋で暮らして、私がオフィスで寝てるんですけれど、したがって私がいるので皆さん絶対に残業ができないんですよ(笑)
 昨日の夜、フィリピン人のスタッフが、「僕は卵くらいしか焼けないから」って、ご飯とちょう塩っ辛い卵焼きと、出来合いのお肉料理を買ってきたんですけれど…。卵を食べてみて、お世辞でも「おいしいね」って言おうとしたら、その卵焼き、一口目からガリって言った…、いやー、卵の殻入れ過ぎでしょお兄さん、貸して身?私がやるから今度から。
2年前に大型台風が来たのも11月ですが、なるほど、現在もここは雨が降り続きます。マニラでは、6月から続いてたレイニーシーズンはもうそろそろ終わりで、最近では雨はほとんど降らないんですけれど。
そしてここ、インターネットがものすごく弱いので、メールも受信できる時が限られますし、スカイプなんてほぼまともには機能しないですし、ブログもいつ更新できるのか分かりません。
レイテでは、視覚障害者を中心とする障害者たちに、台風の時の体験や、何に困ったか、NGOや政府にどういうサポートや改善を期待するかなどを聞き取り調査してます。いわゆる、自然災害が起きたらNGOは障害者に対して何をすべきかっていう提言書を書くために。今週土曜日にはマニラに戻ります。
posted by Yukari at 21:32| Comment(0) | 日記