2015年09月13日

努力してる人の頑張りが報われる流れを作りたい

9月13日:
 今日こそ伊藤財団に提出する最後の書類三つを書きますよ(まだ書いてないのか)いや、日本語なんですけど、4000字が一つ、800字が一つ、2000字が一つって、意外と多かったっていう。
たしか今月中に伊藤財団に提出しなきゃいけないはずで。再来週の土日は日本にいてパソコン持って行かないですから、そう考えると休日にお仕事以外のことでしっかり時間取れる時って今日と来週の土日しかないじゃないかということに、先ほど気づきました!
 その他に、日本で式典にスピーカーとして招いていただく時のスピーチの準備をしなければ。普段は私、人前で話す際に原稿を書きません。これまでやってきたダスキン関連の20分間の講演だったら、自己紹介など導入3分、研修で何を行ったかの事実報告7分、そこから何を学んだかを8分、結論とまとめ2分…みたいなアウトラインと、そして最後をどうまとめるかという最後1分のまとめの言葉だけを頭に置いて会場に行ってます。
6年前くらいまでは原稿を書いて一生懸命暗記したりもしてたんですけれど、何かそれってたんなる暗唱大会になってしまって、けっきょく場の雰囲気にかならずしも合わなかったり、事前に用意してきた言葉はけっきょくその場の人々の心に届かないというか。
自分自身が、聞いてくれる人々の反応やその人たちに伝えたいって思うことより、忘れたらどうしよう、間違えたらどうしようのほうに一生懸命になってしまうというか。だから最近は、全体として1本筋が通るように大まかな流れや、絶対これだけは言うんだっていう内容、そして最後のまとめだけを頭において、後は場の雰囲気見ながらしゃべってます。
しかし今回、ちょっと失言があるとまずいというか。この式典に関しては、この私でさえ、当日原稿は持って行かないにしても、1回事前に文字として書き表したほうがいいんじゃないかと思ってます。
さらっと言ってしまえば、奨学金なしにはきっと大学の4年間を最後まで終えることはできなかった…、そんな私が奨学金のおかげで大学を終え、大学院を終え、そして6年以上前から夢見てきた途上国での教育促進活動に今本当に携わり始めている…。
そういう話しを、気持ちがそのまま伝わるように20分の中に納めなければいけないんです。ね?1回文字にして、A4で4.5枚以内に収まるかどうか確認したほうがよさそうでしょ?

 伊藤財団の最後の提出書類を書くことなども含めて、とにかく私のこれまでの人生において奨学金は大きかったなぁと考えているのですが。でも同時に、先進国だからこそ成り立つんだよなぁと思えてなりません。
たとえば、学生時代に借りて、働き始めてから返済する貸与の奨学金がありますよね。あれなんて、基本的に大学さえ出れば就職できるって保障があるからこそ成り立つ制度ですよね。
もしフィリピンの視覚障害学生に貸与の奨学金制度を作っても、絶対続かないですよ。だって本人の能力とか努力とかに関係なく、大学出てもほぼ就職先ないんですもん。どんなに誠実に借りたお金を返す気があって、どんなに自分がいただいた恩を今度は他の視覚障害者たちにって心から思ってたとしても、自分自身が毎日生き延びることさえ危ういんですもん。
あるいは、日本の奨学金って、たとえば成績が悪かったりあまりに出席日数が少ないと支給を止められる…などがありますが。フィリピンの視覚障害学生だったら、はたして成績が悪いのは本人のせいなのか。
イギリスの大学院にいたころの私が、期末レポートを書く時に新しい文献のデータがぜんぜんもらえなかったり、文字化けだらけの文献しかもらえず授業のパワポもないままクラスに出て、内容に付いて行けなかったりしてましたよね。大学院は成績がレポートで決まるからまだいいですが、あれがテストだったら、授業内容が数回理解できてない私の成績はかなり悪いはずです。
でもこれ、視覚障害学生が悪いのか、私たちの努力が足りなかったのかっていうと、かならずしもそうじゃないはず。同様に、ガイドが見つからなくて学校に行けないとか、そういうのが重なった時に、出席日数が足りない視覚障害学生イコールやる気ない…と片づけてしまうのはあまりに残酷です。

 私は日本で恩師たちに、頑張ってる人のことは、誠実に生きている人のことは、かならず誰かが応援したいって思ってくれる、努力は報われると教えられてきました。そして私の場合、奨学金や皆さんの優しさなどに本当に救われてきたわけですが。
これって、日本だからこそ成り立つんですよね。フィリピンでは…、頑張ってる視覚障害者たちの誠実さを、ことごとく裏切るような現実がある。フィリピン盲人連合のスタッフが、大学を卒業した視覚障害者で、就職できずにただ家にいる人がこの国に200人以上いるって言ってます。
何度も書いているように、そもそも小学校教育を受ける視覚障害者が5パーセントしかいないなどと言われてるこの国です。大学まで出てるって、トップ0.0何パーセントなわけですよ。本当に優秀なんです、どう見ても私なんかより優秀な人がほとんどなんです。
それに…、そもそもその大学の学習環境が。私が、サセックスでの9カ月で心折れそうになりましたけれど。サセックスはあれでも先進国ですから、サセックスよりもっと理解が無い、もっとひどいようなところで、大学の4年間を生き抜いて無事卒業した人たち…、もう尊敬に値します。
それだけ能力があって、それだけ頑張って…、やっと大学卒業まで辿り着いた…、結果、雇ってくれるところなどない。もう何信じて生きればいいんですか、何目指して進めばいいんですか?

フィリピンで、とくにあまり裕福ではない家庭の視覚障害者に会うと、自分は障害者だから別に将来何かができるわけでもないし、夢もないし、別に何かを頑張る気もない…みたいな、一見やる気ない悲観的な人がけっこういます。まあでも、上の状況見てると、そりゃそうなるよなぁと。
具体的に開発のプロジェクトとして細かい話しに落としていくと、通学のための費用がとか、職業訓練だとか教員養成だとかアイデンティティ形成だとか…、そういう話しになって何だか全体が見えなくなるのですが。
すっごく抽象的なことを大きな範囲で言えば、…せめて努力してる人の頑張りは、報われる社会がほしい、障害者が将来に夢を描いてそれを目指せる、そのあたりまえがほしい。
…奨学金からいただいたものを、本当の意味で返していくには、私は何をすべきなんだろうなと、現行を書きながら思うのでした。
posted by Yukari at 16:57| Comment(0) | 日記