2015年09月11日

一つだけ、可能性を追い求めてみたいプロジェクト

9月10日:
 火曜日に私をさんざん振り回した鼻水の薬ですが、これって毎日続けて飲んでいると副作用が軽くなって眠気を感じなくなるとホストマザーが言ってました。確かに、月曜日の夜から飲んで、3回目であった水曜日からは、もう睡眠薬効果は果たしてません。
よく分からないけれど不思議です、人間の適応力。でもこれ、1日でも飲むのをやめると、再び眠気を感じるようになってしまうらしいので、一度慣れた今は、鼻水が完全に止まるまでもうやめられません。
ちなみに現在は、1日にティッシュ5枚くらいあればそれなりに過ごせるようになってます。何だか喉が再び調子悪くなった気がしてるのは…、たぶん気のせいだと思いたい。

 さて、日本の開発学の教授3人、その他視覚障害児教育の専門家、すでに別の国で視覚障害児教育促進のプロジェクトをやってる人などなどに、この1週間は色々と意見を求めました。
「数カ月の調査でプロジェクトを提案するのは正しいことなのか、本気で寄り添って本気で現地の当事者のニーズを考える時、それは仕事として成り立つのか」…などなどは、日本の有名大学で10年以上開発学の教授をしていらっしゃる先生でさえ、いまだに追い求めている問いだということが分かりました。
教授陣の中に、私が先週末から書いているような疑問や悩みに即答できる人はいなかった、いや即答どころか答えを出せる人がいなかった。彼らも探し求めてる最中なんです。
だから、それぞれの先生なりに今までの経験から考えてきたこととか、先生方が彼らの恩師から昔言われたこととか、答えがあるわけでもなく、そういうのがただただ書かれた長文メールが各自届きました。
ただしみんなに共通していたのは、それが仕事として成り立つかは別として、現地の状況やその追い求めている問いに向き合い続けて行く、考え続けて行くということ。まあ…だから彼らは研究者なんでしょうけどね。
 でもやはり、日本からの提案を持って行くとか、自分たちが外から見て感じるニーズのほうが正しいからそれを現地の人に伝えていくとか…それはちょっと違う。開発のプロジェクトは現地の人が開発が必要だと感じてる、課題を感じてる、そこから始まるという点では、教授陣と私の意見は一致しました。

 現地の人々が感じているニーズと、外から開発学の専門家が見た時に思うニーズが違う…、現地のニーズでは日本人たちを説得できなくて、開発として成り立つニーズは現地の人たちの興味では無い…、これらの差をNGO職員という立場からでは埋められないことが行き詰まりの一つの理由だったわけですが。
ここに突破口を与えてくれたのは、さすが私の恩師、さすが教育開発の専門家、西村先生です。彼女は、ジュニア新書を執筆する時、共に生きる社会とは何なのか、障害者とは何なのかなど、私と徹底的に議論した相手でもあるので、私が最終的にどんな社会を目指してるかを誰より分かってくれてる人なので。
このプロジェクトがはたしてプロジェクトとして成り立つかどうか、ICANの上の人たちを説得できるほど、持続性や妥当性の面で確かな証拠が揃うか、そして最終的に予算を取ることができるかどうか…、そこまでやってみないと、これをやりますとは言えないので、まだここに内容は書けないのですが。
ただとにかく、西村先生の視点の転換はとっても新しかった。障害児教育を通じて障害者の社会参加を目指すからこそ、あえて障害者団体ではなくて健常者たちをどう巻き込んでいくかを考える…、あえて今まで障害者にあまり関わって無い人と協力関係を結ぶ。
そこで提案された土台を基に、私のほうでさらに私らしいビジョンへと発展を加え、生まれてきた全体未聞な障害児教育促進プロジェクト。とりあえず、いろんな意味でとっても新しい。
まあ残念ながら、上にも書いた通り、このプロジェクトの基盤となるアイディアを思いついたのは私ではなく西村先生の快挙です。いかにも、あのジュニア新書を書いた二人だからこそだなって思うようなものです。

 実はこのプロジェクト案は今秋初めにはもうできていて、今秋ははたしてフィリピンの現地の人たちがこれに同意してくれるか、自分たちのニーズと合致していると感じてくれるかの調査でした。
そして、少なくともフィリピン人の視覚障害児教育関係者や、そこまで深く関係していなくても、特別支援教育などにちょっとでも興味が有る人は、この案にかなり賛成してくれることを確認。当事者たちのニーズからはそれてない、当事者たちが求めるニーズの三つくらいを一気に満たせるものだと確信しつつ。

今の問題はですね…、どうやってこのプロジェクトを持続可能な形にするかです。ICANで予算を取って、最初の2.3年はやっていけたとしても、私たちが手を引いて、さてあとはフィリピン現地の人たちで運営していってくださいという時に、そもそもスタッフの給料がどこから出るのか…などなど。
そもそも、前代未聞の試みなので、フィリピンの教育賞が同意してくれるかなどなど、これが実現可能だと提案するための証拠をそろえて行くのは、思った以上に果てしない話でした!
 良くも悪くも、2年半前にフィリピンにおける視覚障害児教育で卒論を書いてた時、フィリピン教育賞の、特別支援教育科の視覚障害児担当のトップの人にインタビューをした、その人の連絡先知ってる私!
まさか、学部時代の卒論のインタビューのコネクションが、今ここで活きてくるとはまったく思ってなかったです。残念ながら、当時すでに幹部だったその人は、去年で教育賞は退職してたんですけれど、とにかく来週会えることになりました、携帯番号ゲット…くくくく!!
教育開発の専門家としての文やは、実はもう終わってます。このプロジェクトが実行されたら、視覚障害者にとって、健常者にとって、どういう教育的意義があるか、そこまではすでに考えつくされてあるのですが、それはプロジェクト立案のスタート地点だったみたいです。
もはや今からの私の活動、学部でも大学院でもまったく私は学んでいない、経営とか法律とか下手すると建築とか…そういう未知の分野までカバーすることが求められるようです。
posted by Yukari at 00:20| Comment(0) | 日記