2015年09月09日

確かなものは何もないとしたら最後に貫くもの

9月9日:
 ところで、私ってちゃんとまともなこと書いてますか?何かまだ、一昨日の夜からの薬のフワフワ感から抜け切れていないんじゃないかと。
自分としては集中してるつもりで、外部を訪問してミーティングしたり、仕事関連のメールに返信したりもしたんですけれど、酔ってる人が自分では酔ってることに気づかないのといっしょで、実は後になってから自分が書いたもの見返してみたら、全部暗号だったらどうしよう…とか。
いやむしろ、昨日ミーティングや調査に行ったと思ってるのも、今日は休みで今ブログを更新してると思ってるのも、実は全部夢で、まだ月曜日の夜に薬を飲んでから寝てる状態の、これは夢の中かも知れない…とか。
私、今日の休みを使って、これまで奨学金を出してくれていた伊藤財団に、最後の提出書類3種類を作成しようと思ってるんですけれど(ここ半年の生活レポートと、自分の研究報告など)、今この状態で後に残るような書類を書いて出しても大丈夫ですか?
夢ですか?起きてますか?いや実は、高校や大学、今経験してると思ってる全てが、まだ幼稚園くらいの自分の夢の中だったらどうしよう。

 フィリピンにおける障害児教育促進をするにはどんなプロジェクトを立ち上げるべきなのか、いやプロジェクトとして提案することは正しいのか、世の中に完全に正しいことなどあるのか…そんなことを色々考えてきたわけですが。
自分の価値観は正しいのか、自分が学んできたことは正しいのか、そういうのを突き詰めてると、…誰でしたっけ、どの人だったか名前を忘れてしまったのですが(そしてネットで調べても出てこなかったのですが)、昔、正しいものはあるのかを追い求めて、最終的に自分の存在を疑って自殺した哲学者がいましたよね?
予備校の世界史でそれを学んだ時、高校生の私は、「自分の存在を疑って自殺した」というそれが意味不明でばかにしてましたし、予備校の先生も、面白半分に紹介してましたけど。
何となく今は、その意味が分かる気がします。自分の存在を疑って…ではなくて、世の中に確実なものなど何もない、自分が考えることも自分の価値観も自分の行動も正しいとは限らないって思う時、何も動けなくなるんじゃないかと。

 高等教育の副作用でしょうか。大学院での学びは、開発学の知識を私に与えたのと引き換えに、私を臆病にしました。開発の現場での決断力や行動力を奪ったんですね。行動力や決断力なら、学部時代の留学の時のほうがあったんです。
無知は幸せだと言われますが、確かにそうかも知れないです。学部時代は、フィリピンの視覚障害者の状況をどうすべきか、次々アイディアが浮かんでそれを迷わず実行した。そして一応、何となくの結果を各自出したのです。
世の中的には、私が前回の留学で行ったプロジェクトは全て正しかったかのようになっていますが。今の自分が、過去の自分の実行したプロジェクトを振り返ると、正しかったと評価できるのは、マニラ盲人教会での折り紙セッション、これ一つだけです。
折り紙セッションは、フィリピンの視覚障害者から要請を受けて始まった、したがって押し付けではなく当事者のニーズだったというのがまずポイント高いですね。さらに、各自が自分の能力に気づくなどの結果が出た、その生徒たちが滞在していた半年間は続いて実施されたという持続性もありました。
他のプロジェクト、たとえば日本から選手やコーチを呼んでブラインドテニスを紹介したイベントについて。これはイベント当日は、国籍や障害の有無など超えて人々の心が繋がったという意味で、その日に限っては大成功かのように見えました。
ただしそれ以降、フィリピンでブラインドテニスは行われていない、ラケットやボールは眠ったままという意味では、持続可能なプロジェクトではなかった、けっきょくのところ続けたいと思うほどフィリピン人の興味を引き付けなかった…、開発プロジェクトとしては失敗なんですよね。
同様に、私が半年間フィリピンの盲学校で、理科実験を視覚障害児が行う時の指導法を実演していましたが。いまだに、フィリピンの盲学校では理科実験は行われていません。先生方の興味は引き付けなかった、彼らが思うニーズと合致しないプロジェクトは、けっきょく私がいなくなった後、こうして消滅しているのです。
確かに、当時の私は彼らの心の掴み方、興味の引き付け方が下手だったという考え方もあります。でも前回の留学で何より学んだのは、どんなにこっちが正しいと思って提案したことでも、現地の人々が必要だと感じてないプロジェクトは、続かないってことなんです。

 だから今、外国人の、そして開発学を学んだというなんちゃって知識人の視点から見て、障害者たちが確固たるアイデンティティを形成して、障害者として自分に自信が持てるような場が必要だ、そういうプロジェクトが必要だって思ったとしても、それが現地の人たちの興味と合致しないなら…、プロジェクトとして提案することが私にはできない…。
あたまで考えすぎてるんじゃないか、とにかくやってみたらという声も数人から聞きました。でも…、たとえばいわゆる健常者がフィリピンに入ってきて調査して、立ち上げたプロジェクトがけっきょく間違ってました…なら、ある意味許される気がします。まあどうせ、外部の人には読み切れないものがあるよね、と。
でも、育った環境こそ違うとはいえ、視覚障害者として教育を受けた私が、色々「助けられる側」を経験してきた私が。開発学を学び、より適切な視覚障害児教育を学部でも修士でも研究し、フィリピンで当事者同士で聞き取り調査をし…、その結果提案したプロジェクトがうまくいきませんでした…、そんなの許されない気がします。
向き合えば向き合うほど、奥の深さが見えてしまう、自分はほんの一部しか知らないことが見えてしまう、そんなほんの一部しか知らない状況で、分かった気になってプロジェクトを提案することは正しいのか。何も分かってないと思うのならば、仕事としてでなくても、彼らと向き合い続けることのほうが正しいのではないかと。

何も確かなものはないと思って、絶対に正しい開発として成り立つプロジェクトを提案できない時。私はどう生きるべきなのか、三つの選択肢がある気がします。
一つ目は、力不足だったと認識して、この分野から身を引くこと。日本の視覚障害者の王道に1度戻り、とりあえず十分な収入だけ得ること。でもこれは、大学院とは何だったのかの疑問もありますし、自分なりにやりきったとはいえ、応援してくださった人たちに失礼で小。
二つ目は現状維持。何も分からない、正しいとは自信持って言えないながらも、とにかく事業を立ち上げて、とにかくNGO職員として活動し続けること。
そして三つ目は、仕事を失うことも覚悟して、フィリピンの視覚障害者たちの現状にとことん向き合い続けること。フィリピンの視覚障害者社会にまだ私へのニーズがあるなら、まだ私に何か期待してくれる人たちがいるなら…、それが仕事としては成り立たない活動であっても、続けて行くべきなんじゃないかと。
 そして、社会とか無難に生きるとかそんなこと全て抜きにして、何が正しいのか、何が悔いがないのかと考える時、この選択肢3を貫くべきだと思うのです。
posted by Yukari at 16:13| Comment(2) | 日記

薬の副作用の怖さ

9月9日:
 2週間くらい前にブログで喉が痛いなどと書いてたので、風邪は大丈夫かという連絡を数人の方からいただきました。ここで毎回調子悪いですアピールをしても仕方がないので書いてなかったのですが、実は喉が痛いと書き始めたころから、風邪なのか何なのかの症状は今でもずっと続いてます。
昨日、ミーティングのためにフィリピン国立盲学校を訪問したのですが、その時ふと思ったのです、そうだ、最初に喉が痛くなり始めたのは、以前ここを訪問した日だった、それって8月24日じゃないか…と。
つまりもう2週間以上。喉が痛いのが三日ほど続き、続いて何だか常に喉に物がひっかかってるような、常に何か水分飲みたいような感覚が1週間ほど続き、そして先週の火曜日から鼻水が出るようになり、その鼻水が先週の金曜日くらいから本格化しました。
でもあくまで喉とか鼻とかそれだけなので、はたしてこれが風邪なのか、もしかしてマニラの空気の悪さに喉や鼻をやられているだけなのか、その辺りもよく分かりません。あ、マニラの空気の悪さは、鼻をかんだ時に出てくるものが黒い…というので有名です!!
とりあえず、週末くらいからの鼻水のひどさは仕事に支障をきたしそうなレベルと言うか、ポケットティッシュ1こを勤務時間内に使い切るレベルというか。オフィスで一人でデスクワークしてるならまだいいですが、他団体を訪問してミーティングとなると、たぶん私、1時間ティッシュなしには過ごせないんですよ。
 ホストファミリーが、私の最近の状況を心配して、毎日のように、ジンジャーと、カラマンシー(レモンの小さいような果物)とを入れた飲み物を作ってくれていて、それを飲んでるのですが、喉は治ったものの鼻水はジンジャーでは止まらず。
鼻水を止めるための最終手段としてホストマザーから勧められたのが、セレスタミンという薬でした。これ、日本では医師の処方が無いと買えないみたいなんですけれど、なぜかフィリピンの薬局では処方なしに買えちゃうんですよねぇ。
ホストマザーから事前に言われていたのは、鼻水は止まるけれど飲んだ後ものすごく眠くなる、だから休みの日や、寝る前にだけ飲むことをお勧めする…、そして規定は1回2錠だけれど、フィリピンの薬は強いから、半分の1錠だけ飲むことをお勧めする…というものでした。

 月曜日・火曜日がお仕事の私としては、水曜日まで休みの日はこないんですけれど、火曜日が1日中他団体訪問の予定があって、このティッシュを手放せない状態で乗り切れるとは思わなかったので、月曜日の夜に1錠飲んだんですね。
確かに日本でも、鼻水を止める薬は多少眠くなる気はしますが、こんな体験初めてでした。夜8時ごろに飲んでそれから1時間、何だかお酒を飲んだ後みたいになるんです。
あ、私は極度にアルコールが弱く(高校時代の保健の時間にやったアルコールのパッチテストで、クラスでもっとも赤くなった3人に入りました)、乾杯のワイン3口で顔全体真っ赤になれるレベル、カシスとかでもコップ半分飲めないレベルです。
その薬を飲んで1時間後、それこそ体が何だか熱いような、ぼーっとするような、何かフワフワするような、集中力が怪しいような…、お酒飲んだ後と似たような感覚が来て。
その薬のままに、夜9時過ぎには寝たんです。翌日が午前4時には起きて、5時には家を出なきゃいけなかったのもあって。

 翌日、4時には起きたんですけれど、その時は眠くはなかったんですけれど、起きても昨夜のフワフワ感が残ってて。何か、今日の自分はたとえば庖丁使ったら指切るだろうな、もし日本で一人で出歩いてたら今日はホームから落ちるだろうな…みたいな。
とは言っても約束があるので、5時に家を出て、片道2時間以上かかるところへ行くわけなのですが。幸い、フィリピンで出歩く時はガイドといっしょなのでホームからは落ちないとしても、何だかフワフワしててとっても危険です。
そして熱い…、体が熱い、逆に言えば外が寒い。これは薬のせいなのか、もしかして実は熱があるのか、どっちだったのかはけっきょく分かりません。いや、常夏のフィリピンで寒いわけがないんですけれど。
エアコンが入ってる電車が、通勤ラッシュで満員で人と密着していられたのが救いです、じゃないとエアコンの寒さに耐えられなかったでしょうから。あ、ちなみに、寒いので私は7部袖着てます、それなのに寒いのです。
 最初の訪問場所である盲学校に着いて、校長先生を外で少し待つ時間があり、ガイドの人に「そこは日が当たるから、こっちの日陰に入ったら?」と言われたのですが…、寒い私はあえて日向で待ってました。
夏に7部袖で日向にいたいって、絶対おかしいですよね。そして、待ち時間の間に、実は何課幻覚というか幻聴を見た…、日本語で、写真撮るからこっち向いてみたいな…何か誰かいた気がするのですが、フィリピンの盲学校に私以外に出入りする日本人がいるわけもなく。

私この状況で、クーラーがガンガンに効いてる校長室でミーティングしたら死んでしまう、そう思いながらも行くしかなくて。校長先生、最初に挨拶した時テンション低くてすみません、もはや「危機的状況」にあるのは私ですから(笑)
でも、校長先生と向かい合って、お仕事スイッチ入ると忘れるもので。ミーティング中は何ともないというか、校長室を出るまでは、もはや治ったんじゃないかとさえ思ってました。
エアコンの寒い部屋から、太陽降り注ぐ夏のフィリピンに出て来て、再びぼーっとする頭、もうろうとする意識。ちょっと盲学校の空き地の部分を見に行く用事があったのですが…いやーいつもの5倍くらい体力消耗しました。
そこから2時間かけて電車やらジープニーを乗り継いで次の場所へと移動…、この時、何度も電車の中で意識飛びそうなレベルの眠気に襲われます。おかしいです、もう薬を飲んでから12時間以上とっくにたっているのに、まだ効いてるの?
確かに鼻水のほうは、完全に止まってはいないものの、1時間以上ティッシュなしで過ごせるようになっていて、ミーティング中は何も気づかれずにやり過ごせるようにはなっていました。

外の暑さから部屋や電車のエアコンの効いた場所へ…、この寒暖の差がいつも以上にきついです。校長先生に会う前の、幻覚を見たような状態の時は、もはや午後の予定を次回に回して今日は帰ろうかと本気で考えました。
でも校長室を出た時多少調子が回復してたので、そのまま次の予定を実行。しかし…移動中に再び幻覚を見そうなこの状況。
次の場所に移動した後、約束まで1時間ほどあったので、早めのランチをショッピングモールで食べたのですが。ショッピングモール寒いよぉ。
とりあえず、急いでランチを終わらせて、ランチ休憩の残り時間、モール内のベンチに座って30分ちょっと寝てました。横になるわけでもなく、金属製のベンチに座ってるだけなのに、周りが見えなくなるくらいの眠りに落ちるこの異常さ。
やっぱり鼻水の薬に入ってる睡眠薬効果でしょうか?そして次のアポイントメントの時間が近づき無理やり起きた後…、今度は激しい頭痛に襲われます。そのまま次の訪問先へ。

 ここも、相手先に入って、色々聞き取りなどを始めると、お仕事スイッチ入るので、調子悪かったことを一時的に忘れます。しかし、たとえばしゃべってる相手の人に電話がかかってきて、「ちょっと待っててね」と言われ、数分放置される…、その数分の間、気を抜くと周りが見えない世界に引き込まれそうになるんです。
もう自分の意思ではどうにもならない、最大限を尽くしても、今ここで、相手とミーティングをする、今ここにちゃんと存在してるだけで精一杯なんです。
帰りはバスに乗って、二人掛けの席の窓側で、通路側にガイドが座ってたので、まあこの配置なら物を取られることもないでしょう…そう思った瞬間、下りる場所に着く2分くらい前まで、私の意識はありません。

 そしてバスを降りた後、またずっと続く激しい頭痛。もはや家に着いて、服着替えたり、上司に帰ってきましたとテキスト入れたり、寝るための準備するのがやっとです。
そして朦朧としながらベッドに入ったのが午後5時前でしょうか?そこから翌日、今日の午前4時まで、何も知りません。夕方、叩きつけるような雨と雷が落ちたことも、夕食だと呼ばれたことも、何も知りません。
 薬って怖いよぉ、鼻水よりも、この副作用のほうが怖すぎる。たぶんホストマザー以上に、私には薬の副作用が強く出たんだと思うのですが。
人間って、錠剤たった一つでこんなに左右されるほど儚いものなのかって、人間を眠らせたり命を奪ったりすることくらい薬一つで簡単にできてしまうんだなって、感じた体験でした。
posted by Yukari at 14:41| Comment(0) | 日記