2015年09月06日

本気で向き合って考えてきたからこそ「何もできない」ジレンマ(前半)

9月6日:
 さて、いきなりですが私、仕事を失う日も近いかも知れないです!あ、名誉のために言っておきますが、私の勤務態度が…とか業績が…とかじゃないですよ。
私は、ICANとして障害児教育促進のプロジェクトを立ち上げるために、あるいは立ち上げられるかどうかの可能性を探るために雇われました。そしてここ2カ月半の調査で私が出しつつある結論は、「ICANのプロジェクトとしては視覚障害児教育の現状に下手に介入できない」というものなのです。
ICANが障害児教育の事業を始めないのなら、もう私はいりません。自分の仕事確保のために、無理やりプロジェクトを立ち上げるのはおかしいですからね。
今、周りのスタッフもびっくりしてるというか、「え?なぜそうなった?」って、私の上司も思ってます。
現状が厄介すぎて放棄したわけでもない、問題がないわけでもない、プロジェクト立案の力がないわけでもない…、でも考えて考えて、当事者にとって本当に利益になるプロジェクトって何だろうと突き詰めた時、軽々しく提案などできなくなったのです。

今回のフィリピン滞在で、改めて既存の視覚障害児教育団体の活動や目標・理念などについて調査をしてきました。私はこれまで、ちゃんとした調査や計画に基づいて活動してる団体がないから、いろんな問題は解決されないんだと思っていました。
でも既存の団体たちは、思っていたよりしっかりしていたのです。ただしメトロマニラの、つまり首都圏の、就学している5パーセントほどの視覚障害者にしかそのサービスが行き届いていないのは事実ですが。
首都圏のすでに学校に通えている視覚障害者だけを対象として、本当に危機的状況にある障害者たちを見捨てている、私はそれをずるいと思っていました。でも既存団体も楽して結果だけ得たいわけではなくて、未就学児のこともちゃんと探そうとはしているんです。
でももう、どこにいるのかが誰にも分からない、見つからないのです。障害者は外に出てこない、地方政府も教会の牧師さんも病院もソーシャルワーカーも、自分の村に学校に行って無い障害者が存在するのかどうかが分からない。

…悔しいけれど、歯がゆいけれど、無理なんですよ、探せないんです。もはや1建1建家庭訪問して無理やり探し出すしか方法はなくて、それはお金と時間がかかるわりに、1年で発見できるのは数人…とかの結果になるので、開発のプロジェクトとして成り立ちません。
RBIや盲学校などフィリピン人たちが20年かけて見つからなかった人たちを、後から入った外国ベース団体であるICANが見つけられるとは思いません。
 95パーセントいるはずの学校に行って無い障害者…、ざっと見積もって90万人以上いるはずなのに、なぜこんなにも存在が見えないのか、なぜ見つけられないのか…、それは私にも分からないですけれど、それほど見つからないのです。
家庭内で放置されて衰弱死していても、そういう子たちは出生届けさえ出されていないので、世の中に存在を知られないまま人生を終えていて、私たちには見つけられません。たとえ捨てられていても、フィリピンのいつどこに捨てられるか分からない障害者を毎日捜し歩くこともできず。
せめて、障害者捨てるなら、家庭内でいないものとして扱うなら、1か所決まった場所に捨ててください…、そこに迎えに行くから。

障害事業をやるなら地方であって、私がいるべき場所はマニラじゃないということも押したのですが、地方はさらに障害者がちらばっていてアクセスできる人数が少ない、受益者を見つけられる保障はあるのかと、地方では活動をしたくないようです。
まあ確かに、この地方に3人います、車で5時間行った隣の地方にも二人見つけました…とか言っても、そんな少人数相手に何百万、何千万と使って開発のプロジェクトは行えないですし、5人の障害者が学校に行けるようになります…とか言って、そんな少ない受益者のために予算を出してくれる財団もないですからね。
それはNGOよりさらに小さい、個人レベルじゃないとできない活動です。ボランティアじゃないとできないというか。

 また、私は学業的知識を得ることよりも、本当は各自障害者が自分の障害そのものを理解し受け入れること、その上で自分には何ができるのかの強みを理解したり、自分のニーズを他者に説明できるようになること、自信を付けること、それらのほうがよほど重要だと思っているのですが、フィリピン人からあまり賛同を得られません。
私と似たような意見を持っていたり賛同してくれるのは、博士号まで持っている盲学校の校長先生など、いわゆる目先の問題を飛び越えて視覚障害児教育を数十年規模で総合的に見ている人だけなんですね。
その辺の視覚障害者団体のスタッフや利用者たちの興味は、とにかく全ての障害者が学校に行けること、とにかく就職してお金を稼げること。
目先の、今すぐ結果が得られる問題です。
自信やアイデンティティなど、身に着けてもお金に繋がらないことは彼らの興味じゃないんですよね。
賛同を得られないプロジェクトを立ち上げて誰が来るのか、長い目で見ればためになるというのはなかなか分かってもらえません。
※ 後半の記事に続きます。
posted by Yukari at 20:56| Comment(0) | 日記

2015年09月04日

フィリピンのトップ視覚障害者たち

9月4日:

 金曜日ですね、皆さん今日もお仕事お疲れ様でした。自分への言葉でしょうか?
 さて、ちょっと前になりますが、8月31日の月曜日は、ナショナル・ヒーローズ・デイとかで祝日でした。たぶんですけれど、スペインからの独立を試みようとした、ホセ・リサールの何かを祝う日です。
お仕事もお休みだったので、そして修論も終わったことですし、私はようやく、フィリピンでの1番の親友ともいえる、アイリッシュと1年3カ月ぶりに再開したのです!アイリッシュは、私より3歳上の弱視女性です。
ダスキン愛の輪基金は日本の障害者を海外に送って研修する機会を与えてくれると同時に、アジア太平洋地域から毎年障害者を招いて、日本で約1年間障害者関連施設で研修する機会も提供してくれています。ちょうど私がフィリピンから日本へ帰国したその半年後から、日本へ1年間留学しにやってきたのがアイリッシュです。
フィリピンでは、私たちは両方首都圏には住んでいるのですが、互いの家は片道2時間近く離れているので、前回の留学中に直接会ったことはなくて、アイリッシュに初めて直接会ったのは日本でした。
日本での研修期間中、彼女が東京にいる時は8回くらい会ったでしょうか?寒くなってきたけれど冬服ってどこで何買ったらいいか分からないから連れて毛と呼ばれたり、クリスマスイブに他の研修生も含めてディナーしたり、ICUに案内したこともあります。
 現在は私がフィリピンに…、今度は私がお世話になる番です。互いの家が遠いので、修論を書いてる最中は直接会うことはできなかったのですが、それでも電話やテキストメッセージで色々相談したり、情報を調べてもらったりしたこともあります。

 今回私たちがいっしょにランチした場所は、フィリピン最大の、いいえアジア最大のショッピングモールだと言われている、モール・オブ・エイジアです。もう、日本人が思うショッピングモールの規模じゃないですよ、迷子になったら絶対見つかりません。
アイリッシュが、友達を紹介すると言って、パティーという30代だと思われる弱視女性と、アーマンという20代後半(?)の弱視男性もいっしょでした。おしゃれな、フレンチ・ベイカリーのカフェでランチ。まあ裕福な家庭の人じゃないとこんなところで食事はできません。あ、私は、アイリッシュがおごってくれました(主催者が招いた人の食事はおごるのがフィリピンの文化です)。

とりあえずですね、この人たち普通じゃないです。だいたい、視覚障害者の5パーセント以下しか小学校に行って無いこの国で、ここ3人全員大学まで出てますし、アイリッシュなんてトップレベルの大学院出て、現在他大学の教員として働いてますから!
さらに今日、公共交通手段を使ってここまで来たのは私だけで、他の3人は全員お母さんが運転する車です。つまり、自家用車を持ってて、しかも母親が専業主婦でもやってける家庭の人たちなんですよ。真面目な話し、たぶんこの4人の中で1番貯金額が少ないのは私だと思います。
英語も私なんかより流暢に話しますし、とにかく何かもう、頭の良さと知識が違います。さらに、視覚障害者が物理的に自立が難しいこの国において、けっきょく弱視とはいえ、視覚障害者4人でお店入って、店員さんにメニュー読んでもらって注文するっていう、日本みたいなことがなぜかこの国でできるんです。
庶民的なお店じゃなくて、こういう高級でおしゃれなカフェに入れば、この国においても障害者に適切な対応をしてくれるみたいですよ、彼女たちが幾らチップを渡したかは知りませんけれど。
 フィリピン人は、とにかく傲慢な態度を嫌います。上から目線の発言や態度だけじゃなくて、たとえばアメリカ人みたいなきれいな英語をしゃべるとか、高価そうな物を身に就けるとか、自分より下の階級の人の前であたりまえのようにタクシーに乗り込むとか…、そういう行動をよしとしません。
だから、お金持ちで学歴も高くて恵まれた地位にいればいるほど、彼らはとても謙虚で、腰の低い人たちです。外国人の私などは、相手が偉い立場であることが本気で分からない時があります。

 とにかく、ここに集まってるのは、フィリピンの視覚障害者の未来を担っていくであろう、トップ0.0何パーセントに入る、優秀な視覚障害者たちですよ。
何て言い表したらいいんでしょうか、私がただただ圧倒されて、移動する時もみんなの後を付いて行く、会話もみんなの後を付いて行く…、ただ何とか置いて枯れないように付いて行くことだけで精いっぱいでした。何だかもう、レベルが違うと感じました。
もちろん、外国にいる時、現地語があまり分からない、現地の状況に慣れてない、情報が少ないなどが理由で、人の立場やゾーンは弱くなります。でも、日本にいる時のアイリッシュと、日本という慣れた土地にいた私とで、ようやく同等に思えるくらいだったんです。
それが、フィリピンという慣れた土地に戻った彼女と、フィリピンという土地で日本ほどの力は出せない私とでは…、もはや他の3人に置いて行かれないようにするだけで必死です。でもエリートの彼女たちなので、そんな私をも寛大に仲間に入れてくれるわけですよ。
私が何も具体例を挙げられないので、皆さんにはフィリピンのトップ盲人たちの何がそんなにすごいのか、ぜんぜん伝わって無いかも知れません。でも何かもうとにかく、私がとっても小さく見えたとお知らせしておきます。
posted by Yukari at 23:48| Comment(0) | 日記

言われてみると不思議

9月4日:

 1週間くらい前の話しになりますが。
先週末というか日曜日、私の上司の上司に当たる人といっしょに夕食を食べに行って、二人で4時間くらいしゃべってました。日本事務局の人で、私や上司にとっては普段「もっとも怖い人」ですが…。
お仕事外だと優しい人なので。仕事の話しも気楽な感じでしていて、その人からの(注意ではない)指摘。
「私、すごい不思議なことがあるんやけど。由香理さんさぁ、志望動機とか本とか、ああいう自分の意思を伝える文章書くの上手やのに、なんで事実だけを羅列する報告書書けやんの?
それと同じで、由香理さん、本いっぱい読んでるし、英語の文献とか難しいものまで読みこなすのに、なんで外務省からの、あの短いハンドブック読んでへんの?」
…言われてみるとたしかに。何かあれですね、脳のどこかが欠損してますね。

 それこそ、この日も、とある人のダスキン事業応募のための志望動機の添削を午後からやってたんですけれど、その話しを、その上司の上司にしたら、私に報告書毎回直されてるくせにって笑われて終わりました!
あ、でも、確かに報告書はだめだけれど、志望動機みたいな意思を伝える文章は書けるからね…と、そこだけは認められてました、そこだけですけどね。そう、志望動機なら書けます、一応これまで、奨学金も就活も、書類審査で落とされたことが1度もありません!

問題は、彼女の指摘通り、なぜか英語の論文とかでも読めるのにマニュアル的なものが読めない、そして報告書は何か調子が出ないっていう。
読んでて面白いけど、事実と感情をごちゃまぜにして書く癖がある、それも主観が入ってるなら入ってるで、そう思われないように書けばいいのに、わざわざこれは主観ですよって分かるような書き方で混ぜ込むから指摘される…って言われました。
月次報告など、あくまで「何をやったか」の事実の羅列に向いてないって、…多少注意されること減ってきましたが、まだ言われます。
 外務省からのインターン向けのハンドブックを読んでない…、これは名誉のために言っておきますと、読んでないわけじゃないんですよ。少なくとも全てをこれまでに2度は通して読んだことがあります。ただ、こういうマニュアル的な文章が苦手で、読んでも見事に頭に入りません。
だいたい、マニュアル見ながら、パソコンや機械類を操作するのも、ほぼできない私ですからね。何をすべきかは言葉で教えてほしい、文字だと行動に繋がりません!
さらにこの外務省インターンのハンドブックは、いわゆる予算申請の仕方や、理由書の書き方、予算申請の際の外貨計算の仕方…などなど、とにかく書類の記入例と数字が並ぶ、私がもっとも苦手とする分野です!

 今回、ちょっとややこしいやりとりを3つくらい同時にやらなければならず、主に上司や日本事務局スタッフが対応してくれていたのですが、もはやメールの流れが分からな過ぎて、みんなに付いて行けな過ぎて開き直ってたら、直属の上司から、「由香理さん、放棄しないでください」とお叱りのメール届きました(当然)。
…だって、もう分からないんだもん…。
 その日、ちょっと緊急のスキャンを言われて、土曜日で休みだったのですがオフィスに行かなければならず、オフィス行ったら、まさかのタイミングで上司に会っちゃって…、気まずい気まずい、私朝受け取ったメールに返信してません。
と思いきや、「パン食べる?」と、今月路上の子どもたち中心に開店するカフェの、試供のパン、一部ちぎって分けてくれました。
もう一人、土曜日に一時出勤してた総務の女性スタッフと3人、3種類のパンをそれぞれ分けて食べるこののどかさ。
「Nさん、すみません、ハンドブック、ちゃんと読みます」
 甘やかしはしない、言いたくないことも他者が見逃すことも注意してくれる、そして後に引きずらない、こんな上司が好きなのです。

日本事務局からマニラに来て、私と上司を直接見たり話し聞いたりしてる「上司の上司」である彼女は。
「いいなぁ、私もそういう上司ほしい。上司を本気で大好きって言えるっていいね、Nさん、厳しいけど優しいもんね」とか、
「いいなぁ、私もそんな部下ほしい」とか言ってます!
 そして私は、まるで高校の数学で行き詰った時に、中1の教科書から読み直すように、改めて過去のみんなのやりとりメールや、ハンドブックなどを、今度こそ自分のものにしようと火曜日必死で読んでたのでした。
そして、「Nさん、理解しましたよ」と、すごい今更のことを得意げにメールするパターンです。そもそもこれは、外務省インターンに配られたハンドブック、本当は私さえ理解してれば、みんなは読まなくていいはずのものですからね。
 障害児教育の調査やまとめを現場に出てする時は、自分自身本気になって動いていますが。その他のお役所関連の書類ややりとりは、何となく言われたことだけやる、自分の名前が書かれてないメールはあんまり関係ない…のようだった意識が、ちょっと変わった気がします。

さあて金曜日です、今日1日お仕事したらお休みですよぉ、頑張りましょう!うそ、明日も午後だけミーティングがあるのであんまり休みじゃないです、今日はそれの準備ですぅ!ここ1カ月半くらいやってきた調査結果を、上の人たちに報告して提案を出すためまとめます。
posted by Yukari at 10:07| Comment(1) | 日記