2015年09月12日

プロジェクトを考える時点から共生社会を実現!

9月12日:
 今日はあくまで休日です、あくまで土曜日です。だから、完全にプライベートで弱視の友だちに会ってました、以前私がマニラ盲人教会で折り紙セッションをやってた時、通訳兼アシスタントで入ってくれてたマーベルです。
今は出世してフィリピン国立盲学校の先生となり、勤務地近くに住んでるのですが、今秋末は実家に帰ってきてたので。私のガイドの調子が悪く外出するのはかわいそうなので、マーベルにうちの家まで来てもらいました。

 さて、マーベルとうちの家でランチなどしながら、友達同士気楽にしゃべる…わけなんですけれど、障害児教育促進プロジェクトを立ち上げようとしてるNGO職員と、盲学校勤務3年目の教員がしゃべったら、どうしても私たちのトピックは、「フィリピンの視覚障害児教育をどうすれば…」になります。
気づいたら、完全にこれ仕事じゃないのって感じのミーティングっぽいことになってました。色々新しいプロジェクトの案を出して、これだったらスタッフを雇うのに月々いくらかかるか、利用者から施設使用料をいくらまでなら取れるか、それでスタッフの給料と施設の家賃をカバーできるか…などと計算してたり。
ね?ってかどう考えても、もはや教育学の文やじゃないでしょこれ?いや、教育開発が教育だけ考えてても成り立たないことは分かってましたけれど、でもちょっとこの、数学とか経済とか苦手な私はですねぇ、経営とか運営の予測して計画立てるの苦しいです。自分の奨学金と生活費の計算だけならできるんですけど。
さらに、色々フィリピンの基本的な給料や生活費が分からないときてます。そうすると、何のプロジェクトを立ち上げるにしても、スタッフの給料って月々いくらいるんだろう、もし何か建物を建てる場合にいくらかかるんだろう、…まあこんなの日本でさえよく分からないですけど、こういうのをフィリピン人たちに聞きまくる、とにかく相談することになります。

 まあ、プロジェクト案は再び一つとは限らなくなったというか、現在いろんな案や情報や可能性や夢が乱立してますけどね。
自分を擁護したいわけじゃないですが、私はあくまで教育開発の知識しかなくて、プロジェクト立案にフィリピン人たちの助けがいるというのは、ある意味現地の人たちの、「助けなきゃ、参加しなきゃ」を刺激するようです!!
自分一人でプロジェクトを立案できないのは、かえって参加型開発になっていいかも知れないと若干思ってます!フィリピン国立盲学校の先生方が、何かスイッチ入っちゃってますし。
運営とか法律とか政治経済や社会システムみたいなことは、今度は大学の教授陣に相談に行ってるので、障害者なんて私以外見たこともないような先生までが、フィリピンの視覚障害児教育のプロジェクトの持続法を真剣に考えるっていうこの不思議!

もうこのブログの読者や、身近な人たちはすでにご存知なはず。私そのものに何か能力があるわけじゃなくて、私が唯一誇れる力は、自分の興味に人を巻き込む魔力であって、私自身が何かをしてるわけではないということを。
視覚障害児教育の専門家と、教育法やカリキュラムの専門家と、政治経済の専門家と…、みんなが自分の得意分野活かして、視覚障害児教育促進にベストなプロジェクトは何だろうって考えてる人や、それをどうすれば持続的に運営できるだろうって考えてくれてる人…、感動的ですよ。
もちろん、彼らが直接出会って話し合ってるわけではなくて、あくまで私が聞き取り調査だったり、アドバイスを求めるミーティングだったりで、聞きたい内容や課題などを箇条書きにした紙を持って各自を訪問して回ってるわけなんですけれど。でも実際のところ、ほとんどみんなを繋いでるだけですね。
何か、みんなこんなにやる気になってくれるんだ、こんなに真剣に、親身になって視覚障害児教育の未来考えてくれて嬉しいなって思いながら。ぜんぜん関係ない分野の人が、思わず気になってこの世界に入り込んできてくれた時は嬉しいですね!

 誰もが必要とされてるって感じられる、誰もが他人に対して何かしらできることがある社会…、これ、どこの国に行ってもどんな状況でも変わらない、私と西村先生の「共に生きる社会」の大前提ですからね!
もちろん、何かしら始まるプロジェクトによって、目指すところもそういう社会ですけれど、プロジェクト立案の時点から、共生社会も実現していきましょう!!
ね?こういう風にいえば、私に経営とかフィリピン社会の知識などがないのが、まるで強みかのように聞こえるでしょ?騙されてはいけません、たんに教育しか学んでこなかった大学院生が、プロジェクト立ち上げの現場で知識足りないだけですから!

posted by Yukari at 23:29| Comment(0) | 日記

何か充実して生きる新しいこと

9月12日:

 ようやく週末ですね、何かよく分からないですが1週間長かった。ってか思ったんですけれど、修論とお仕事を両立してるころのほうが間違いなく忙しかったのですが、修論はある意味気分転換になってたようです。
修論が終わると、本当は、物理的には時間があるはずなのに、何だか新しいことを始めるでもなく時間が過ぎて行き、こうして平日が終わって週末を迎えた時、ところで今週、お仕事以外に何かしたんだっけ?っと若干むなしくなります。
そして、週末出かけるほどの体力はないというか、週末くらい寝てタイというか。そもそも普段の平日、プロジェクト立ち上げのための調査をしてる私は、人や団体を訪ねて外へ出ることが多いですし、やっぱり治安とか交通状況とか整ってないフィリピンは、たんに出かけるだけでも、たとえガイドといっしょでも、何だか日本で外出するのの3倍以上体力を消耗します。
おかしいなぁ、週に9時間拘束がたった4日、それ以外の時間はだいたい自由なはずなのに、どうしてこれって何もしないうちに時間が過ぎていくのでしょ?というか、何か何をするほどの体力が残って無いというか。
 私でさえちょっと疲れててそういう感じだったので、私のガイドのほうが先にダウンしちゃいました。昨日の午後の外出中から彼女、頭が痛くて、昨日の夕方私といっしょに帰宅して速攻お手洗いでもどしてて、夕食も食べずに寝てました。
今日も明日も、週末ちょっと頑張って、お仕事以外の気分転換を楽しむため出かけようと思ってたのですが、ガイドの体調を見て週末の外出や予定はキャンセルです。何しろ来週は、少なくとも3回、お仕事で外出予定がありますからね、彼女には回復しておいてもらわないと困ります。
私のガイドは、私たちが住んでる家のお手伝いさんでもあって、家の掃除洗濯や料理をする傍ら、ガイドとして私といっしょに長時間外出することが最近多いので、さすがにちょっと無理が来てるんだと思います。
まあ今秋は、朝4時起きで、5時に家を出て遠出したこともありましたしね。私が疲れてるということはガイドも疲れてるんだということ、そして万が一お仕事の予定がある日にガイドが調子悪くて出かけられない…とかなると困るので、予備軍を見つけておかなきゃいけないなと今回の経験から思ってます。

 とりあえず、視覚障害者が一人で出かけられない国ってこれが不便ですよね。視覚障害者の会議や集まりなどがあると、「ガイドが急に来られなくなったから僕も今日は出席できません」とか、「ガイドが遅れて来たから到着遅れます」などという連絡がたいてい数人から入るのが普通です。
そりゃまあ、毎日決まった時間に視覚障害学生が学校に通うのは、そうとう難しいだろうなぁと、容易に想像がつきますね。一部の本当に信用できる人を除いては、ガイドとなった人が本当にドタキャンしないか、本当に約束の時間までに来てくれるか、これもけっこうな賭けです。
だからこそ私も、予備軍がほしいと言いながら、今のガイド以外にそう簡単に代わりの人は見つけられないんです。
 そんなこんなの結果、毎日のように外へ出歩く視覚障害者なんてほぼいない。そして、ごく一部の外へ出歩く仕事をして活躍している視覚障害者たちは、ドライバー付きの車を持っていて、母親が専業主婦でガイドを務められていて…、そういう人だけです。
それなら、現地までは車で移動なので、ガイドもむこうに着いてからの建物内の移動に付き添う程度で、すごい楽なんですよね。
公共交通手段を使って、家族でも親戚でもないガイドと共に毎日のように出歩いている視覚障害者は、この国において、ほとんど私だけじゃないかと思われます。たぶんフィリピンにおいて、もっともきつい労働をしているガイドヘルパーは、可哀そうに私のガイドでしょう。

 最近、サセックス時代の友達たちや、イギリスの他大学の院に
留学していた友達たちが、次々とフェイスブックにヨーロッパやその他海外旅行の写真などをアップしてます。修論も終わって、働き始めるまでの数カ月、今は思いっきり羽を伸ばす時期なんでしょうね。
良くも悪くも就職が早めに決まり、修論と両立になった私は、そういうメリハリがつかないまま働き始め、修論が終わり、気づいたら社会人1本になってるはずなんですけれど。大学院のこの怒涛の日々が終わったら数カ月思いっきり休憩する、当時みんなと同じく描いてた夢も実行する機会はなかったです。
修論が終わって9月になったら、語学学校に行ってちゃんとタガログ語勉強しようって思ってたのですが、とにかく1回なるべく休憩がしたくて、9月はお仕事以外ほぼ何もせずにのんびり過ごしてきました。
でもけっきょく、あんまりのんびりになってないというか、かえって最近体調悪いだけというか。修論終わって、かえって気分転換の機会がなくなっただけというか。

9月末は「お仕事で」一時的に日本へ弾丸帰国しますが、そこで流れを変えたら、10月からここフィリピンでの新しい生き方考えようかなぁって思ってます。
とりあえず、今住んでいる村の中、つまり歩いて行けるところで、一人個人的にタガログ語の教室開いてる先生がいるみたいなので、そこなら単独で通えそうですし。
あとは何か、週末を、あるいは勤務時間前後の時間を有効に使えるような楽しみがないかなぁと。いかんせん障害者がスポーツなどしない、外出して週末に集まることがかなり難しいこの国ですからね、明らかに障害者へのレクリエーションの機会が不足ですよ!
posted by Yukari at 12:21| Comment(0) | 日記

2015年09月11日

一つだけ、可能性を追い求めてみたいプロジェクト

9月10日:
 火曜日に私をさんざん振り回した鼻水の薬ですが、これって毎日続けて飲んでいると副作用が軽くなって眠気を感じなくなるとホストマザーが言ってました。確かに、月曜日の夜から飲んで、3回目であった水曜日からは、もう睡眠薬効果は果たしてません。
よく分からないけれど不思議です、人間の適応力。でもこれ、1日でも飲むのをやめると、再び眠気を感じるようになってしまうらしいので、一度慣れた今は、鼻水が完全に止まるまでもうやめられません。
ちなみに現在は、1日にティッシュ5枚くらいあればそれなりに過ごせるようになってます。何だか喉が再び調子悪くなった気がしてるのは…、たぶん気のせいだと思いたい。

 さて、日本の開発学の教授3人、その他視覚障害児教育の専門家、すでに別の国で視覚障害児教育促進のプロジェクトをやってる人などなどに、この1週間は色々と意見を求めました。
「数カ月の調査でプロジェクトを提案するのは正しいことなのか、本気で寄り添って本気で現地の当事者のニーズを考える時、それは仕事として成り立つのか」…などなどは、日本の有名大学で10年以上開発学の教授をしていらっしゃる先生でさえ、いまだに追い求めている問いだということが分かりました。
教授陣の中に、私が先週末から書いているような疑問や悩みに即答できる人はいなかった、いや即答どころか答えを出せる人がいなかった。彼らも探し求めてる最中なんです。
だから、それぞれの先生なりに今までの経験から考えてきたこととか、先生方が彼らの恩師から昔言われたこととか、答えがあるわけでもなく、そういうのがただただ書かれた長文メールが各自届きました。
ただしみんなに共通していたのは、それが仕事として成り立つかは別として、現地の状況やその追い求めている問いに向き合い続けて行く、考え続けて行くということ。まあ…だから彼らは研究者なんでしょうけどね。
 でもやはり、日本からの提案を持って行くとか、自分たちが外から見て感じるニーズのほうが正しいからそれを現地の人に伝えていくとか…それはちょっと違う。開発のプロジェクトは現地の人が開発が必要だと感じてる、課題を感じてる、そこから始まるという点では、教授陣と私の意見は一致しました。

 現地の人々が感じているニーズと、外から開発学の専門家が見た時に思うニーズが違う…、現地のニーズでは日本人たちを説得できなくて、開発として成り立つニーズは現地の人たちの興味では無い…、これらの差をNGO職員という立場からでは埋められないことが行き詰まりの一つの理由だったわけですが。
ここに突破口を与えてくれたのは、さすが私の恩師、さすが教育開発の専門家、西村先生です。彼女は、ジュニア新書を執筆する時、共に生きる社会とは何なのか、障害者とは何なのかなど、私と徹底的に議論した相手でもあるので、私が最終的にどんな社会を目指してるかを誰より分かってくれてる人なので。
このプロジェクトがはたしてプロジェクトとして成り立つかどうか、ICANの上の人たちを説得できるほど、持続性や妥当性の面で確かな証拠が揃うか、そして最終的に予算を取ることができるかどうか…、そこまでやってみないと、これをやりますとは言えないので、まだここに内容は書けないのですが。
ただとにかく、西村先生の視点の転換はとっても新しかった。障害児教育を通じて障害者の社会参加を目指すからこそ、あえて障害者団体ではなくて健常者たちをどう巻き込んでいくかを考える…、あえて今まで障害者にあまり関わって無い人と協力関係を結ぶ。
そこで提案された土台を基に、私のほうでさらに私らしいビジョンへと発展を加え、生まれてきた全体未聞な障害児教育促進プロジェクト。とりあえず、いろんな意味でとっても新しい。
まあ残念ながら、上にも書いた通り、このプロジェクトの基盤となるアイディアを思いついたのは私ではなく西村先生の快挙です。いかにも、あのジュニア新書を書いた二人だからこそだなって思うようなものです。

 実はこのプロジェクト案は今秋初めにはもうできていて、今秋ははたしてフィリピンの現地の人たちがこれに同意してくれるか、自分たちのニーズと合致していると感じてくれるかの調査でした。
そして、少なくともフィリピン人の視覚障害児教育関係者や、そこまで深く関係していなくても、特別支援教育などにちょっとでも興味が有る人は、この案にかなり賛成してくれることを確認。当事者たちのニーズからはそれてない、当事者たちが求めるニーズの三つくらいを一気に満たせるものだと確信しつつ。

今の問題はですね…、どうやってこのプロジェクトを持続可能な形にするかです。ICANで予算を取って、最初の2.3年はやっていけたとしても、私たちが手を引いて、さてあとはフィリピン現地の人たちで運営していってくださいという時に、そもそもスタッフの給料がどこから出るのか…などなど。
そもそも、前代未聞の試みなので、フィリピンの教育賞が同意してくれるかなどなど、これが実現可能だと提案するための証拠をそろえて行くのは、思った以上に果てしない話でした!
 良くも悪くも、2年半前にフィリピンにおける視覚障害児教育で卒論を書いてた時、フィリピン教育賞の、特別支援教育科の視覚障害児担当のトップの人にインタビューをした、その人の連絡先知ってる私!
まさか、学部時代の卒論のインタビューのコネクションが、今ここで活きてくるとはまったく思ってなかったです。残念ながら、当時すでに幹部だったその人は、去年で教育賞は退職してたんですけれど、とにかく来週会えることになりました、携帯番号ゲット…くくくく!!
教育開発の専門家としての文やは、実はもう終わってます。このプロジェクトが実行されたら、視覚障害者にとって、健常者にとって、どういう教育的意義があるか、そこまではすでに考えつくされてあるのですが、それはプロジェクト立案のスタート地点だったみたいです。
もはや今からの私の活動、学部でも大学院でもまったく私は学んでいない、経営とか法律とか下手すると建築とか…そういう未知の分野までカバーすることが求められるようです。
posted by Yukari at 00:20| Comment(0) | 日記